『モロッコ、彼女たちの朝』イスラム社会の女性のおかれた立場やさまざまな因習などについてはまったく描かれない。背景として描かれるのは、ごく当たり前に市井に生きている人々のエネルギッシュな姿だけ。 説明もなく、最小限のセリフだけで伝える映像は、いわゆる社会派の映画とならずに、どんな社会にあっても起こりうる女性のもつ普遍的な問題を提起しているようだ。

映画備忘録 10月15日 本厚木kiki

『モロッコ、彼女たちの朝』(2019年製作/101分/G/モロッコ・フランス・ベルギー合作/原題:Adam/脚本・監督:マリヤム・トゥザム/出演:ルブナ・アザバル ニスリン・エラディ/日本公開2021年8月)</p>

北アフリカのモロッコ。映画は何も言わないが、舞台はたぶんカサブランカだろう。

臨月のおなかをかかえながら、住むところと仕事を探す若いサミア。

サミアがここまで来たいきさつは何も語られない。画像7

美容師や家政婦の仕事を求めるも幾軒も断られ、路上で過ごそうとするサミアに、いったんはサミアの求職を断ったパン屋を営むアブラが声をかける。

親切心というより見るに見かねてしかたなくといった風情。朝になったら出て行ってほしいと告げるアブラは、やや年配の表情の乏しい女性。母子2人だけの生活。

アブラは娘の教育には熱心だが、その生活はどこか潤いに欠けている。

 

映画は数日間3人で暮らすうちに2人の中で起きる「変化」を、言葉で説明することなく、ひたすら映像だけで二人を撮る。

 

少ないセリフの間に挟まれる二人の顔の表情のアップ。

見る側は、そこから何をどう読み取ればいいのか迷う。

それほど作り手は不親切なのだが、その分、見る側は想像を広げていかざるを得ない。

次のシーンが来ると、自分の想像が外れていて、別の選択肢を無意識に追うことになる。

 

サミアは、生まれてくる子に対し鬱屈した感情を捨てきれない。

イスラム社会では未婚の母は差別され、子の将来は閉ざされているようだ。

父親がだれかも、なぜ一人でカサブランカに、それも身重のからだで仕事をさがしに来たのかもわからない。

田舎の実家には両親がいるようだが、電話で知り合いに「自分は都会で美容師としてしっかり仕事をしている」と伝えてくれと頼むシーンがある。実家に戻る道は途絶えているということか。

 

セミアは美容師としての腕前だけでなく、パン作りの技術も持っている。それを伝えることで二人の間にすこしずつつながりができていく。

 

一方アブラの中の深い屈託。

ある夜、何らかの理由で外出した夫が遺体で帰ってきたこと、これもイスラムの慣習なのか、遺体に触ることも出きず、死を悼むこともできなかったことに深い鬱屈を抱いている。

母子の生活に潤いが感じられないのそのためのようだ。画像4

サミアは一緒にお見せで働いているとき、ラジカセである曲をかける。サミアはこの曲が封印されているのを知りながらあえてかけるのだ。

アブラにとっては夫との思い出のある曲。アブラは激しく心を揺さぶられ、サミアに『止めて!』と迫る。

「聞かなくちゃだめ」とサミア。からだごとぶつかってくるアブラの腕をつかんで離さないサミア。二人はいつしかその曲にあわせてダンスをする。

日常のはざまにできた些細な隙間のような時間だが、息をつかせない印象的なシーン。

 

パン屋の材料を運んでくる親切な男がいる。男はアブラに気があるようだが、アブラは無視している。

サミアは、自分の気持ちを抑えてしまうアブラに、彼の気持ちを受け入れたほうがいいと伝える。

 

アブラの気持ちの中に少しずつ小さな変化があらわれる。

化粧っ気のなかったアブラが眉を引き、口紅をつける。下着姿でベッドのうえで両腕で自分をかき抱く姿は、凍り付いていた身と心が解けだしていくことを表しているようだ。画像32

 

サミアは産気づき、男の子を生む。

生まれ出た男の子を前に激しく動揺するサミア。

助産婦に名前を問われるが、サミアは「名前を付けない」という。

 

自分の子として生きていくことが不幸な人生を送ることになると信じて疑わないサミア。

母乳すら与えず、自分の手にも抱かないサミアをカメラは感情をこめずに映し出す。カメラも観る側も息をつめて耐えている。

 

アブラは、わが子を育てるようサミアを説得し続けるが、サミアは頑として受け付けない。

あきらめたアブラは、赤ん坊が変な業者の手に渡るよりはと考え、月曜には養親をさがすために施設に行こうとサミアに伝える。

 

朝を迎えサミアは母乳を与え、わが子を抱く。

そして「名前はアダムよ」。

原題の”Adam”だ。

 

サミアは母子が眠っているのを確かめてそっと外に出る。

サミアがはこに行こうとしているのか。

養子とするのでなく、自分で育てて生きていこうと考えたのかどうかもわからない。

 

別れの朝のシーンは淡泊で静かに描かれ、エンドロール。

 

イスラム社会の女性のおかれた立場やさまざまな因習などについてはまったく描かれない。背景として描かれるのは、ごく当たり前に市井に生きている人々のエネルギッシュな姿だけ。

説明もなく、最小限のセリフだけで伝える映像は、いわゆる社会派の映画とならずに、どんな社会にあっても起こりうる女性のもつ普遍的な問題を提起しているようだ。

 

2人の女性の表情の微妙な変化をとらえた映像が素晴らしい。

優れた映画、名作だと思う。画像1