この地に移り住んで11年。様変わりである。 それでも境川の風景と生きものは散歩する者の目を楽しませてくれる・・・で終わればいのだが。

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山荘五合庵 秋の先付(10月15日)


あと2日で12月。例年に比べ暖かい日が続いている。

今朝も10℃だったが、散歩に出てみると日が差すにつれ気温は上がり、手袋は10分ほどで要らなくなる。薄いネックウオーマーは15分ほどで用なしである。

 

以前にも書いたが、この境川河畔の上流に向かって右側、住所で言うと町田市鶴間に東京女学館大学跡地がある。跡地、だからすでに建物はない。

 

東京女学館短期大学が東京から町田市に移転したのは1978年、国際教養学部のみの4年制大学となったのが2002年。学生の部集を停止したのはそれから10年後の2013年のこと。学生が集まらなくなったという。2017年に閉学となった。創立は1886年というから明治の半ばにさしかかるころ。古い歴史をもつ大学。今も附属だった小・中・高は渋谷の広尾にあるが、場所を田舎にかえたのがまずかったのか、それとも校納金の高さゆえか。

 

 

私たちがこの近くに転居してきたのが2009年のこと。数年の間だったが、こじんまりとした雰囲気の良い女子大学が歩いて10分もかからないところにあったということになる。と書くと、なんだか閑静ないいところのように聞こえるけれど、実査には国道246号線国道16号線に囲まれた物流の拠点が多い騒々しいところ。かつて高村薫が小説『冷血』で寒々とした風景を描いたところ。

 

夏目雅子浅田美代子はここの(短大)卒業生。もちろん広尾の、である。

それなのに凡人は、「ほうほう、夏目雅子が卒業生でねえ」などと全く関りなどないのにちょっと気分がよかったりする。

じゃ、浅田美代子は?この間みた『朝が来る』での彼女の演技はかなりの水準だったが、それまでは「なんだかなあ」の女優。だからあまり思い出さなかった。

 

2017年に閉学になってからしばらくは、緑の多い瀟洒なキャンパスからは人の気が消えていたが、築40年足らずの各棟は横浜の公立学校のような安普請でない分、老朽化は全く目立たず古い教会のような風格を備えていたものだ。

散歩で通るたびに「もったいない。このまま『居抜き』で買い取る学校はないのだろうか」などと考えていた矢先に、突然取り壊しが始まり、一気に更地になったのが去年の春ごろ。

建物がなくなってみると、「こんなに狭かったのか」という感慨をもつことはよくあるものだが、ここは逆に「こんなに広かったのか」というほどの広さ。

マンションが建つらしいという話が伝わってくる。

私の住むマンションの上階の方からは西に富士山が望めるが、うわさはその眺望が遮られることへの不満といっしょに流れてきた。

 

さて、すぐにもマンション工事が始まるかと思いきや、これがなかなか始まらない。

ある日、更地に何本ものラインが引かれていた。駐車場のようだ。

 

マンションになる前にこの地は、2019年11月にオープンしたアウトレット「グランべリパーク」の第三駐車場に。駅名まで変更してその規模を倍以上に拡大したグランベリーパークの第二駐車場はケーズデンキを取り壊して更地にしたところ。数百台。第三駐車場もそれに劣らない規模。

 

この第三駐車場、何度かは使用したのだろうか。

というのも、2020年2月にはすでにコロナ禍が蔓延し始め、グランベリーパークの集客もかなり落ち込んでいたからだ。第二駐車場でさえ初めは土日のみの使用だったのが、今ではほとんど使われていない。第三駐車場はまったく使用されないまま、3月ごろからかマンション建設工事が始まった。その規模582邸。

 

その対岸の大和市側には100軒ほどの新築戸建ての団地がここ2年ほどでほぼ完成している。河岸に面した東側から朝日が入る構造だが、対岸のマンションは10階建て。

今朝も7時ごろ通過したのだが、すでに3階部分まで躯体が立ち上がっているマンションが朝の陽光を阻み、戸建て住宅に朝日は当たっていなかった。

 

10階建てともなれば、せっかくの新築の家々には朝日はかなり遅い時間にならなければ当たらないことになる。

 

奥まってクルマの音が届かない河畔は、東京女学館の緑濃い静かなキャンパスと、戸建て団地ができる前は春にはウグイスが毎年啼く森にはさまれた格好の散歩コースだった。

 

この地に移り住んで11年。様変わりである。

それでも境川の風景と生きものは散歩する者の目を楽しませてくれる・・・で終わればいのだが。

 

ひとつ心配なのは、マンションに隣接している町田市立鶴間小学校のこと。582邸が新たに移り住むとなると、どれほどの転入生があるものか。半数の家庭に小学生が一人いたとしても300人である。近隣の中学校は?各学年では…、教員数は?

 

おおきなマンションがひとつ建てば、それに合わせて行政は当然相応のサービスをしなければならない。多額の住民税や固定資産税など地方税によって潤うのであるから当然なのだが、右から左へとそうしたインフラが揃うわけではない。特に人間をそろえるのは難しい。学校には教員が必要だが、このマンションが建てば10数人の教員の増員となる。

教員採用試験の倍率は下がり続けている。小学校は1倍に限りなく近づきつつある。

教員はもう魅力のある仕事とは思われていない。

 

どうやって教員を補充するか。定数を満たしていない学校の割合も増えている。多くは臨時教員が埋めているが、探しても見つからないのが実態だ。

 

その大きな要因が教員免許制度である。世紀初頭に成立した10年に一度の更新を義務付けるという思いつきの政策のおかげで、更新をしない退職教員は雇えない。

背に腹は代えられないと、文科省は免許更新していない退職教員に「臨時免許」を付与して現場に立たせるという。ばかばかしい話だ。更新講習など今や形ばかり、コロナ禍の中ではさらに杜撰な様相を呈している。免許更新制自体が枠組みも効用もすでに破綻しているのだ。

 

先行きを見ようとしない政治が、市民が必要とするインフラの形成を阻害しているという一つの例。

散歩で見えるひとつの日本。