銃を持とうとしない志願兵に対する軍での風当たりはすさまじく、数々の嫌がらせを受けた挙句、ドスは軍法会議にかけられる。有罪となり服役かと思われるところで、父親が准将へ直訴、准将の「良心的兵役拒否者の自由は憲法で守られている」という判断から無罪となり、沖縄戦へ。

4月1日の本島上陸から1か月足らずの時期、首里の司令部を死守しようとする浦添・前田高地に陣を置く日本軍の抵抗はすさまじく、米軍は何度も苦汁をなめさせられる。のこぎりで切ったような絶壁(ハクソーリッジ)の上で繰り広げられる闘い、退却を余儀なくされる米軍は、高地に負傷者をのこしたままだ。ドスは、日本軍の夜間掃討作戦の中、たった一人、夜を徹して負傷者を手当てし、高地の下まで運ぶ。その数75名。偉業である。