コロナでトラぶる親子関係、あわてて「修復」など。 家庭内の関係は長い時間かかってつくられてきたものだ。 今回の「密」で「互いの存在をそこそこに認める」の中身が、少し変わっただけ。

けさの朝刊。

政府の専門家会議の議事録が残されていないことが問題となっている。

  

医薬業界専門紙「リスファクス」が情報開示請求、内閣官房は議事録を「不存在」として不開示決定したという。

 

官房長官は専門家会議が「政府の決定または了解を行わない会議」にあたるとして、議事要旨は作成しているので、詳細な議事録は残す必要がないとしている。

 

また、出たな、である。この政権はいつもこれだ。隠す、ごまかす、あったものをなかったものとする。

 

専門家会議のメンバーから発言者の記載のある議事録を求める声があったと、尾身茂副座長。

コロナをめぐる状況の把握は難しく、議論が錯綜するなか、責任ある発言が求められるからこそ、委員からしっかりした議事録をという意見が出るのだろう。

専門家会議が決定はしなくても、「政府の決定」の根拠となる議論をしていることは明らか。少なくとも「政府の決定に準じる」会議であることは間違いない。

 

北村誠吾地方創生相「構成員の専門家に自由かつ率直にご議論をいただくため」

何をネムたいことを言っているのか、この大臣は。

要するにだれも責任を負わなくてもいいようにということだ。

専門家ならば自分の研究の立場から責任ある発言をするのが当然。政治家じゃないのだから。

 

緊急事態宣言という、のちのち詳細に検証されなければならない歴史的事態を、はたしてどうとらえているのか。

あたりまえの政府が欲しい。

 

 

昨日の夕刊(朝日新聞デジタルから引用)

「在宅勤務の父親に『目障り』キレる子どもたち これって『コロナ反抗期』?」

 コロナ禍で家族が在宅で一緒に過ごす時間が増える中、子どもたちに「コロナ反抗期」ともいえる現象が広がっている。「コロナ前」は適度な距離を保てていたが、「ステイホーム」で家庭内が「密」になり関係が悪化。専門家によると、特に父親と娘・息子の間で顕著なようだ。


 ■普段からの不満が

 関西在住の40代女性の家庭では、会社員の夫の在宅勤務が多くなり、中学3年の長女が父親に「反抗」し始めたという。きっかけは、父が娘の行動を詮索(せんさく)するような言葉だった。

 「今日は何してた」

 「勉強したの?」

 父親にしてみれば会話のきっかけ作りのつもりだったが、ある時娘が「それしか言うことないの!?」とキレた。女性は「普段からの不満が、顕在化した感じです。パパって娘に言うことが思いつかないのか、同じことばかり言ってるんですよね……」。その後父親は反省し、詮索するような言葉は控えたところ、関係は少し改善したという。

 埼玉県に住む高校2年の娘は、40代後半の父親の説教に堪忍袋の緒が切れて、部屋にこもってしまった。食事時間ぎりぎりまで友達とLINEでおしゃべりしていることについて、繰り返し説教されたのだという。部屋にこもった翌日、母親が仲介して、なんとか仲直りしたという。

 神奈川県に住む中学3年の息子は、40代半ばの父親が在宅勤務で、テレワークをいい加減にやったり、昼間から酒を飲んだりしているのを見て、「目障りだ。いい加減にしろよ!」。母親に「なんであんなお父さんと結婚したの?」と聞いてきたという。

 一方で、うまく子どもと距離を取っている父親もいる。東京都内の50代の会社員男性は、大学2年の次女に対して、あまり余計なことは言わず、時々ランチに連れて行くなどしているという。

 ■広い心で耳傾けて

 『親と子のアドラー心理学』などの著書があるカウンセラーの岩井俊憲さん(72)は、「思春期は本来親より友達の比重が大きくなる時期。感染予防で友達と会えなくなり、不満がたまるのはやむを得ない」と話す。「お父さんは、この機会を前向きにとらえ、家族会議を開いて全員が本音で語り合ってみては。難しい場合は、まずお母さんを間にはさんで関係修復を目指してほしい。そういう機会を持つことが、もし第2波、第3波が来たときにも役立つはずだ」

 岩井さんによると、コロナをきっかけに、父親の仕事ぶりを見た子どもたちが「お父さんって、すごい」と見直すケースも、若干だが、あるのだという。

 普段から父親はどんなことに気をつけたらいいのか。子育てカウンセラーの甲賀彩香さん(49)は、(1)ひたすら傾聴し、ジャッジしない時間を持つ(2)夜遅くまでLINEで友人と話すなどは、時に大目に見る(3)スマホゲームなど、子どもが関心のあることを一緒にやる――などを挙げる。「お父さんは、威厳を保とうとするのではなく、子どものところに『降りて』行った方が、関係はうまく保てる」と助言する。(佐藤陽)

 

私が気になったのは、二人の専門家の方のアドバイス

「家族会議を開いて全員が本音で語り合う」

言葉にすると良いことのように思えるが、どうだろうか。溝はさらに深まるのではないか。

「お母さんを間にはさんで関係修復を目指す」

お母さんはいつも中立?お母さんの本音のほうが子どもの本音よりすごいはず。

「ひたすら傾聴する」

それができない。どうすればできるか、その方法は。ふつうは「見て見ないふり」を非難される。

「時に大目に見る」

この「時に」というのが曲者。「時に」のさじ加減がわからないから皆悩む。

スマホゲームなどいっしょにやる」

いっしょにできるなら、トラブルにはならない。簡単に言わないでほしい。

 

ふだんの距離感が、意図せずに急激に縮まったから起きるニアミス。

距離感には互いの存在をそこそこに認めるという効用もある。

最初から離れていたわけではない、時間をかけて離れてきたのでは。

 

あわてて「修復」などしない方がいい。

家庭内の関係は長い時間かかってつくられてきたものだ。

今回の「密」で「互いの存在をそこそこに認める」の中身が、少し変わっただけ。互いのいい幻想も悪い幻想も少しトーンダウンしたぐらいのことじゃないのか。

 

バタバタなにかやれば底の浅さを見透かされる。「新聞に書いてあったことやってんじゃないの」なんて。

互いの孤独があってこその家庭だ。

 

 

 

教室の机を離して、距離をとった配置にした学校の校長先生が、

 

「これで子どもたちは安心して勉強に向かうことができます」

 

とラジオで云っていた。

 

どう考えても、机を離して子どもたちは安心しないだろう。安心したのは、校長先生だと思う。

 

子どもって身体的にも心理的にも密接していたいもののようだ。

産後の母子の関係から時を経て少しずつ距離をとっていくが、これがかなりゆっくり。

 

ゆっくりゆっくり離れて、思春期にむかっていく。

 

そういう自然な距離の取り方を、学校というシステムが「邪魔」をしていく。

 

近代に入る前は子どもは「そだつ」ものだった。子どもがそだたないことが多かった時代のことだ。

 

子作りとか子育てという言葉が、さずかる、そだつという言葉に成り代わって、子どもは不自然な部分をどんどん身に引き受けてきた。

 

それでも、核のところには自然性のようなものが残っていて、だから子どもは群れたがるのだと思う。

 

では、コロナは人と人の距離をとらせてしまう不自然なものなのか。

 

自然のなかにあって、人間が手を付けない方がよかったもののひとつがコロナのようなウイルスなのではないか。

そう考えると核や原発のこともわかりやすい。

コロナも放射能も、問いかけているものは同じなのではないか。

f:id:keisuke42001:20200530110458j:plain

数日前から行方知れずに。Mさんが探しています。