『もう、沈黙はしない―性虐待トラウマを超えて』(矢川 冬)    「私は加害親やその協力者とは絶縁すべきだと思っています。中途半端な和解や関係修復は、中途半端な回復しかもたらしません。しかも被害者の潜在力をそぎ混乱の中に引きずり込みます。加害親とはきっぱり縁を切るべきです。」(本文から)

 

どういう縁なのかわからないのだが、筆者が私のブログにときどき来てくださる。それをたどって筆者のブログに行き着いた。そこでこの本に出会った。

頁を開いてから一度も閉じることなく一気に読んだ。引き込まれた。

筆者は、10歳から12歳までの2年間、実父から性的虐待を受け続けた。筆者は人生のほとんどをこの時間を抜きには生きられなかった。この2年間は筆者の人生の重い桎梏だった。

この本が書き出されるまで長い時間がかかった。30年ほど前に一部を書き上げたが、家族の反対に遭い、日の目を見ないまま長い時間が過ぎた。その間、筆者は何度もペンを取り、取っては挫折を繰り返したのではないか。

心身に刻み込まれた苦渋の事実に向き合い、怒りを言葉にかえようとすればするほどよみがえってくる恐怖と増幅する怒り。筆者が自分に課した「書くこと」の残酷さを考えると暗澹とした気持ちになる。書かずにはいられない、書けば、かさぶたがはがれ、傷から血が流れ出す。筆者には書くことでしか超えられないという確信があったのだろう。しかし、たとえ超えたとしてもそこに安寧が訪れるわけではなかった。

彼女の恐怖と怒りの度合いを想像してみる。子どもであったこと、家族から孤立していることの恐怖。子どもゆえに、親子関係であるがゆえに持っていき場のない怒り。子どもしか感じられない絶望感の底深さ。それは、時間が経っても薄まることなく、逆にどす黒さを増していく。と言葉では言える。

しかし所詮、男の大人である私の想像力など、子どもだった筆者の50年を超す絶望にたどり着くことなどできない。それでも、最後まで読んでしまったのは、たぶんこんな理由だ。

彼女が、自らの体験を個人的体験にとどめずに社会的体験として客観化しようとしていること、同様の体験をもつ人々のために生きようとしていることに感銘を受けたからだ。こう書くと自己変革の物語のように感じられるかもしれないが、そうではない。人生の多くのものをあきらめ、捨て続け、そうしてもなお残る事実から目をそらさず、「何を残すべきか」を考え抜いた、いわば彼女の具体的なサバイバル戦略が、この本の要諦だ。

その中の一つ、戸籍名の変更裁判には驚愕した。名は5年、氏は10年の使用の実績があれば、裁判所は変更を認めるという。10年使用という理由によって「氏」変更を進めようとする裁判所に対し、筆者はそれを拒否をする。「結果」が得られればいいではないか?父親と同じ氏を自分が使用することによる心的圧迫から逃れられれば、とりあえずいいではないか?筆者はそう考えなかった。彼女は裁判所が出す審判書に明確に「父親からの性的虐待による」と書かれることを求める。激しいPTSDに襲われながら、この裁判闘争を闘う筆者の姿は読んでいて痛々しい。

そうして長い時間がかかって裁判所は審判書に氏変更の理由として「父親からの性的虐待」を記す。筆者の執念が裁判所を動かし、新たな「判例」をつくり出したということだ。

反省の気持ちなどみじんも見せない父親に対する怒り、事実を知りながら容認していた母親へのあきらめ、一時は共感を示した妹の離反。性的虐待に加えて、こうした家族内の関係が彼女の傷をさらに深めていった。

自分のうちへうちへと向かうベクトルに対し、一転外へ向かおうとするとき、さまざまな障壁が目の前にあらわれる。その多くは社会制度や風習というより、それを具現化した人間たちだ。彼女は長い間、多くの敵に囲まれて生きざるをえなかった。

しかし、障壁をともに超えようとする人々も現れる。切れ味の鋭いナイフのような筆者が、ともに 歩もうとする人々に出会えた時に、ナイフはやさしい花束にかわる。闘う筆者は美しいが、思いがけぬ共感に涙する筆者も美しいと思う。そんなとき筆者は等身大の涙もろい女性だ。

そこに至るまでを筆者はこんなふうに書いている。

 

カウンセリングの最中、私は時として専門家に対するいつもの悪意が出ました。膿のたまった悪意を小西医師に吐き散らしました。小西医師は、専門家の自負を持って耐えてくれました。その後福祉業界でケア側になったときに、児童養護施設の子どもたちから、とんでもない言葉の暴力を浴びました。子どもたちのぶつけなければならない気持ちが、私にはよくわかります。ケアする側の人間をおそるおそる試しているのです・・・。この人は本当に私のことが分かるのか・・・どこまで叩いたらつぶれるのか。私のような性根の曲がった被害者を受け入れるのは容易なことではなかったと思います。最後に私があいさつに伺い玄関に立った時、もう一人の若い担当医師が思わず涙したのも今ではよく分かります。今私は自信を持ってこの二人の精神科医に対して、サバイバーを傷つけることはないと保証します。

 被害者にとっての「許し」とは「許されること」に他なりません。何度も言いますが、けっして被害者が加害者を「許す」必要はありません。私は二人の精神科医から受けたカウンセリングの中で「許された」と感じることができました。許されるべきは被害者なのです。

 

同じ体験をした女性たちが入所できるシェルターづくりも筆者の戦略の一つだ。具体的な取り組みについてはぜひ本書を読んでほしい。第9章では「当事者が書いた本たち」として体験やPTSDからの回復に役立つ本が紹介されている。また第10章では、加害者が家族内の場合、家族内で容認されていく傾向について分析、加害者の介護問題まで踏み込んでいる。これは家庭内の性虐待の問題が、1対1の問題ではなく、家族そのものが抱えざるを得ない問題であることを示している。

文中、何度も出てくるが、母親のかかわり、きょうだいのかかわりが、実は虐待を支えてしまう。父親についてより、母親やきょうだいに関わる部分を読むのが正直辛かった。

最後にあとがきをそのまま紹介する。矢川さんの思い、人となりがよくわかる文章である。

 

―あとがき―

 私はこの本を遺言書のつもりで書きました。私財をすべてつぎ込んだシェルターを残しますので、後を継いでくださる方へのメッセージです。届くといいのですが。

 私のシェルターでは家族の中に支援者がいない、恋人も夫も子どももいない天涯孤独の女性サバイバーに住居を提供します。私が10歳のときに欲しかった居場所です。受け入れ条件は、誰の支配も受けたくない人、自分を冷静に見直す理性のある人(なくても持とうとする人)。他人の気持ちを考えられる人、自立して生活ができて、自らシェルターに連絡してくる人。

 シェルターにいる間に仕事をしっかり身に着けてお金を貯めて巣立って欲しい。落ち着いたら先輩として、以降に入ってくる少女の話し相手になってほしい。入居の際には、戸籍を抜き、一人戸籍を作り、住所閲覧制限をかけてください。シェルターがあなたの第2の故郷になりますように。

 私についてひとつ注意があります。私は第1章で書いたように、10歳で成長が止まり、精神年齢は12歳です。12歳のおばあさんという不可思議な存在です。つまり男性との恋愛は皆無で、恋愛にまつわる世迷言は私には興味がありませんし理解できません。結婚制度に反対しているので、浮気や不倫の話は私に辞書には載っていません。さらに親の家業である水商売のさなかに性虐待が起きていたので、そういう匂いのする場所や職業がいまだに私のトリガーとなります。若い頃は演歌のすべてがダメでした。ヤクザや中年男もだめです。私は手当てが遅れたので一生このままだと思います。毎日リハビリのつもりで生きているので、ヤワな部分がかなりあるにも関わらず、居場所を提供したいと思うのは無理があるかもしれません。だからあまり期待しないでください。衣食住の住だけ提供していると思っていただけるのが、今はちょうどいいかもしれません。いずれ協力してくれる人が増えたら、いろいろに援助の幅を広げたいと思っていますが。

 私は加害親やその協力者とは絶縁すべきだと思っています。中途半端な和解や関係修復は、中途半端な回復しかもたらしません。しかも被害者の潜在力をそぎ混乱の中に引きずり込みます。加害親とはきっぱり縁を切るべきです。

 長いサバイバー生活を送りました。社会ムーブメントを何回か経験するものの、その歴史をまとめて語り継ぐことがなされないままだと思いました。今20代のサバイバーの中には、「沈黙を破って」を知らない人もいます。歴史を語る必要を感じました。