映画『渚のシンドバット』(1995年・橋口亮輔)十代ってこうやって生きていたなとか生きているんだなということ。 生きて感じ、思考することの出口のないしんどさがストレートに伝わってくる。

毎日夕方、二人で映画をみている。『薄暮シネマ』

 

日曜日は、

『渚のシンドバット』(1995年/129分/日本/監督・脚本:橋口亮輔/出演:浜崎あゆみ岡田義徳・草野康太ほか)★★★★

 

25年も前の映画なのにレンタル代は400円。Amazonプライムのタダには分類されていない。それだけ価値ある映画ということか?

『ぐるりのこと』『恋人たち』をつくった監督。

 

歌手デビュー前の16歳の浜崎あゆみが素晴らしい。

こういうのを存在感というのだろうか。ぶっきらぼうで自己中心的で、周りにうまく溶け込めない複雑な背景をもつ女の子の役を好演。歌手でなくても役者としても大成していたのではないか。

 

物語の大筋は、

クラスメイトの吉田(草野康太)に想いを寄せる高校生伊藤(岡田義徳)。転校生でレイプされた過去がある女生徒の相原(浜崎あゆみ)は、その事に気づき伊藤に興味を持つ。同性愛とレイプ被害という、他人には話せない秘密を抱える二人は急速に打ち解けるようになる。その相原のことを実は恋慕する吉田。複雑な三角関係の先には……。

                       (Wikipediaから)

 

90年代の高校生の群像劇のようなところもある。休み時間の教室の空気が自然。連絡黒板などもリアル。担任役の根岸季衣、絶妙。クラスメイトもそれぞれキャラクターが複層的でよい。中心の3人だけでなく、一つ外側にいる生徒たちの描き方もいい。

 

橋口監督の長回しは、この映画でもその効果を十分に。

 

たとえば二人が向かい合って話しているところを、カット割りしてそれぞれの言葉に反応する表情を捉えようとする方法が一般に多用される。

 

見ている方には、それによって登場人物の心の動きが分かりやすく伝わる。

しかし、人は普通に生活している場で、それほど緻密?に考え動いていない。
橋口監督の長回しは、登場人物が直接にぶつかりあって、そこで生まれる相手に対しての判断のつかないとまどいや、いったん言葉にしようとして逡巡するところなどが画面上に現してくれる。

 

大きなテーマとして同性愛が外せないが、ゲイであることへのさまざまな思いや視点は随所に多面的に表れているが、それを解決しようとか筋道立てて理解しようとはしていない。そこがいい。

感じるのは、十代ってこうやって生きていたなとか生きているんだなということ。
生きて感じ、思考することの出口のないしんどさがストレートに伝わってくる。

そういうのって、言葉でいうのは簡単だけど小説でも映画でも一つの作品として格好つけるのは大変なことだ。


上質な青春映画。暗い浜辺のラストシーンが切ない。

 

『渚のシンドバット』(1995年)『ぐるりのこと』(2008年)『恋人たち』(2015年)

この監督から、目が離せない。

次は『ハッシュ』だ。