読み飛ばし読書備忘録⑮ 『まともがゆれる~常識をやめる「スゥイング」の実験~』(木ノ戸昌幸/朝日出版社/2019年/1560円+税) このろくでもない社会に傷つき戸惑う心優しき人たちの生きづらさを緩め、一息つきながら生きてゆくための少しのヒントに

読み飛ばし読書備忘録⑮

『まともがゆれる~常識をやめる「スゥイング」の実験~』(木ノ戸昌幸/朝日出版社/2019年/1560円+税)   おすすめ度★★★★

 

Mさんに勧められた本。一気に読んだ。べてるの家の本を読んだ時の爽快感に近いものがある。

2006年に京都・上賀茂につくられたNPO法人スゥイング。

木ノ戸さんは云う。

「・・・僕自身が苦しみ続けた「こうあるべきまともな姿」から大幅にはみ出した「障害者」たちと出会い、彼らとなら何か新しいことができるかもしれないと、2006年、ありあまる熱意半分、やけくそ半分で設立・・・」

「…障害者とひとことで言えども知的障害者精神障害発達障害、身体障害、いくつかの障害を併せ持つ人などそれぞれ。また、障がい者という言葉がイメージさせる生きづらさなんてまったく感じさせず、目の前の日々を愉しんでいるようにしか見えない人もいれば、社会が規定するまともからはじまkれ、1人では抱えきれないような生きづらさを味わってきた人もいるし、そもそもそうした社会的なあれこれを理解できない人もいる。一方、スゥイングでは少数派である若干名の「健常者」たちは、(僕も含めて)むしろ心身健やかなふうには見えない場合が多く、人を便利に一括りにしてしまうラベルは、やっぱりただのラベルに過ぎないことを僕たちは知っている」

「・・・社会を断罪してもしょうがないし、人ひとりが生きるということにセオリーや方法論なんてない。本書が、固定化された「まとも」を見つめなおして揺らしたりずらしたり、このろくでもない社会に傷つき戸惑う心優しき人たちの生きづらさを緩め、一息つきながら生きてゆくための少しのヒントになればいいなと願っている。」

 

30名ほどの人が働いているスゥイング、芸術活動の「オレたちひょうげん族」戦隊ヒーローにふんして行う地域清掃活動「ゴミコロリ」、ヘンタイ的な記憶力を駆使した京都人力交通案内「アナタの行き先、教えます。」などの取り組みが地道に続けられているが、その発想と中身のついクスッとしてしまうユーモアに元気づけられる。

f:id:keisuke42001:20191107170123j:plain

 

「社会のケツの穴を広げていこう」というスローガンにぶっ飛ぶ。ケツの穴の小ささを批判するのはなく、広げていこうというのだ。

 

どうでもいい話だが、かつて若い同僚(今どこかの中学で副校長をやっているが)に「〇〇さんてケツの穴のデカい人ですよね」と云われたことがある。

「あのなあ、見たこともないのにそういうこと言うなよ。ケツの穴が小さいとは云うけど、デカいとは云わない。ダダもれしているふうだし」

だから、それ、人前では言うなよと私は彼に云ったのだが、

ここでは、デカいとは言わずに「広げていこう」とまで云っている。それも相手は「社会」である。超えている。

 

「こうあるべきまともな姿」を、壊そうとしているのではない。「こうあるべきまともな姿」などもともと実体などなく、つくられたものだということをスゥイングに通う人たちを描写しながら、しっかりと見せてくれる。

親の年金でキャバクラへ通い、そのたびに自己嫌悪に落ち込んで引きこもってしまう増田さんや、毎夕に意味不明のワン切りを続けるひーちゃん、ここでも迷惑ってなんだ?とか、まともって何だ?が問われる。ギリギリアウトをセーフに変えてしまうのだ。

それはそのまままともが「スゥイング」するということだ。そしてどこまでも閉じていない。いつも、社会に向かって、社会のケツの穴を広げようとしている。

 

 

ああ、もどかしい。とにかく一読してみてほしい。元気が出る。章ごとの「自由すぎる詩」も抜群。コラム「ケツの穴を太陽に」も絶倒するはず。