こんなうまいものを知らなかったんだなあ、なんて「だもの」のおじさんのようにつぶやいてしまった。・・・手づくりの柚餅子に舌鼓。

11日、「街を耕す会・こうほく」で、話をする。菊名地区センター、和室。

発題は、私が「教員の働き改革」、元楠学園園長の武藤啓司さんは「学校の現状と地域における学び・育ち」について。

武藤さんの広がりのある話に比べ、学校の中の教員の働き方の問題はいかにも狭い。

 

学校の中での子どもたちの生きづらさと、教員の生きづらさは、今の社会の不寛容さと相まって底の方でつながっているのではないかと私は考えている。

しかし現実には生きづらさを感じる子どもたちにとって、教員は抑圧の装置の最先端部分と認識されてしまいがち。

子育てに思い悩む親たちにとっても、同じレベルで学校は目の前に立ちふさがる壁となっている。

最近、Twitterでみる若い教員、とりわけ非正規の教員のつぶやきには、つぶやきではなく叫びのようなものを感じてしまう。

 

学校、とりわけ職員室に広がる不寛容さの中で、Twitterでしか吐露できないぎりぎりの心情に対して、働き改革はほとんど有効性をもたない。

 

しかし、そういう非正規教員の「さけび」は、しんどさを抱える子どもや保護者には届いてはいないし、結びつくこともない。

「それはそれ、これはこれ」ではないと思うのだが。

 

いったん心理的な結束バンドのようなものを緩めてみて考え直すことはできないか。

 

そんなことを考えながら帰ってきた。

 

 

先日、知人からゆずもちを送っていただいた。

柚餅子(ゆべし)ともいうのだという。室町時代からの兵糧食だそうだ。

ゆずもちと柚餅子。

ふたつとも指すものが地方によって違ったり、同じだったり。

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ゆべしは

「柚子の実の上部を切り取った後、中身をくり抜き、この中に味噌、山椒、胡桃などを詰めて、切り取った上部で蓋をする。そして、これに藁等を巻いて日陰で1か月から半年ほど乾燥させる。食べる際には藁を外して適宜に切り分け酒の肴やご飯の副食物として用いる。」(Wikipediaから)

というもの。

それに対して私が知っていたのは、

「東北・北関東近辺のゆべしは、主に西日本で主流とされる柚子の菓子ではなくクルミの餅菓子となっている。柚子の産地から距離があり材料として使われにくかったため、材料として入手しやすかったクルミを入れる。江戸時代以前、クルミは貴重な蛋白源と脂肪分だった。味付けは醤油などがメインで砂糖や黒砂糖の甘みにより甘いものになっている。」(同上)

 

「かんのやのゆべし」という、お土産屋さんで売っているお菓子が、私の知っている「ゆべし」だった。似て非なるものである。

 

今回いただいたものを薄切りにしてクリームチーズをのせて食べた。初めての味。

滋味という言葉が思い浮かんだ。

こんなうまいものを知らなかったんだなあ、なんて「だもの」のおじさんのようにつぶやいてしまった。

 

包み紙が、習字の反故紙のようなものだった。開いてみるとかなり達筆。どういう由来があるのかはわからない。

 

今年の冬はまだ終わらないが、次の冬にはつくってみようと思う。