読み飛ばし読書備忘録④文子、この時23歳。人生のほとんどを学校や師と無縁に過ごしたいわゆる無籍者。文字も思想もすべて自分の家族や虐げられた生活の中から掴んだもの。文子の凄絶ともいえるものの「掴み方」に驚かされるばかりだ。

7月6日

今日(4日)で3日連続の境川遊歩道の雨中散歩。らいは一緒に行けないので不満げ。

傘をさしていても風がないから気にならない。


雨でもカワセミは朝食の捕食に懸命。鮮やかな青を翻しながら水面すれすれを空気を切るように滑空する。細い枝にとまって上から餌を物色している。今日も小魚を食べているシーンを目撃。


この間まで、ランドセルを背負った姉弟と若い母親の3人連れをよく見かけたが、このところ姉だけが別行動。課外活動の都合なのか。家族のささやかな変化。

 


埼玉のYさんから「気まぐれ通信12号」が届く。B4版20ページ。不定期刊で近況が掲載されている。

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Yさんは埼玉の教員の独立組合の方。小学校の教員を43年間つとめた。私より2年ほど年長だ。お付き合いしていただいてかれこれ40年近くなる。今も現役の労組活動家。普段は公民館の夜間休日管理の仕事をしているとのこと。


通信には、読んだ本の紹介や「今日のお出かけ」「短信」などがあり、今回のメインは春のウオーキングイベントのレポートが2本。。

 

4月13日の28㌔「俳句の里・皆野吟行」は読んでいて、こちらまで気持ちが和らぐ春の一日の報告。皆野は金子兜太の故郷ということで「吟行」に。Yさん「…周りの山々や里が、濃淡の異なる緑を中心としたグラデーションで彩られているのを見て」
           「困民の里はまだらに春の色」
と一句ひねる。ゴールの秩父市役所広場で「投句掲示板」を見つける。短冊は80枚。金賞が1枚、銀賞が6枚。「銀の中の1枚に私の作品があったのにびっくり。何度も確かめてしまった」。入選では終わらずに、後日秩父市役所から荷物が届く。「入選句をボランティアが絵葉書にしました」。さらに秩父特産のメープルシロップを使ったお菓子の詰め合わせも。義理深いYさん「市役所にお礼状を書いた」とのこと。読んでいてこちらもうれしくなった。

Yさんらの案内で秩父困民党の足跡を歩いたのは、30年以上も前のこと。からだが動くうちにまた「秩父歩き」をしてみたいものだ。

 

 

読み飛ばし読書備忘録④


『星々たち』(桜木紫乃・2016年・実業之日本社・単行本2014年実業之日本社★★★★
「夫からは何の反応もなかった。桐子が和雄の態度に動揺することも、和雄が桐子や息子のことで心を動かすことも、もうないのではないか。寺から自宅までのあいだ、幾度となく右手に師匠の骨の軽さが蘇った。いつの間にか、からだは義務でしか、心は体裁でしか動かなくなっていた。」(151頁)

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塚本千春というという女性の遍歴を描いた9編の連作短編集。これも北の大地をさすらう女の物語。桜木紫乃の小説からはいつも北の海の潮の香りがする。新聞に連載されたカルーセル真紀の半生を描いた『緋の河』が新潮社から出た。地方紙で1年3か月連載したもの。私たちも毎日ほぼ欠かさずに読んだ。桜木は連載終了の文章に「ほかの誰にも書かせたくなかった。」と書いている。カルーセル真紀とは同じ中学の出身だとか。単行本となったのは第一部。第二部はこれから「小説新潮」で読めるらしい。

 

 

『女たちのテロル』(ブレイディみかこ・2019年・岩波書店)★★★★
 100年前の19世紀から20世紀にかけて、国家と対峙した3人の女性たち、金子文子、エミリー・デイヴィソン、マーガレット・スキニダーの生き方を国家を超えてつないで見せてくれた力作。エミリー・デイヴィソンはサフラジェット(イングランド女性参政権活動家)の武闘派活動家、マーガレット・スキニダーはアイルランド独立のイースター蜂起のときの凄腕スナイパー、金子文子の闘いの場のほとんどは獄中と裁判ではあったが、残された文章は、二人のラディカリズムにけっして見劣りしない。

 

こういう規格外れの悪魔が文子の内部に生まれた理由について鶴見俊輔は、彼女は小学校、中学校、高校という国家がデザインした教育の階梯を上らなかったからだと分析している。
「自分の先生が唯一の正しい答えをもつと信じて、先生の心の中にある唯一正しい答えを念写する方法に習熟する人は優等生として絶えざる転向の常習犯となり、自分がそうあることを不思議と思わないのに対し、文子には「これでいい」と認めてくれる先生は居なかったから、十分に分かった、これで卒業、ということはなかったというのだ。(思い出袋)」
しかも社会の「もぐり」として育った文子は、どんなに整然と解決しているように見える事象にも、その裏側にオルタナティヴが、必ずちょっと違う事実や次元やベクトルがあることを知っていた。だから、彼女の黒い知識欲は無限だったのである。(18頁)

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冤罪であった文子と朴烈の大逆罪の容疑の根拠は爆弾である。エミリーもマーガレットも直接的な武闘でもって国家に対峙した。国家は暴力をもって国家に立ち向かおうとする者に対して、己の暴力性を隠蔽しながら民主主義の仮面をかぶって(裁判で、法律で)徹底して弾圧、抑圧する。そうして国家自体が暴力装置であることを失念させるような仕組みを巧妙に準備する。100年後の香港政府しかり、辺野古の日本政府しかりである。社会に対して、体制に対してラディカルに向き合わざるを得ない状況に置かれたとき、テロリズムは一定の意義を獲得する。それは非暴力主義とはきわめて非対称な行為である。
 国家は執拗に転向を求める。それは処刑よりもさらに敗北感を募らせる。
 朴烈と金子文子に対して国家はすぐに「恩赦」を用意する。それは処刑するよりも民衆を慰撫するのに効果的であるからだ。

「・・・広大無辺なる聖恩に接した以上は、反省して真人間になることを信じます。くれぐれも広大なるご仁徳に感泣の外ありません。」(当時の首相若槻禮次郎の公式コメント)

これはまさに転向の勧めだ。死ぬことで自分を貫くことを国家は許さない。朴と文子の転向こそが天皇制国家に帰依する国民の「物語」の完結だ。

 

ふざけるな。と文子が思ったのは当然だろう。市谷刑務所長から恩赦の減刑状を渡されたとき、文子はそれをビリビリと破り捨てた。(略)あろうことか「聖恩」の書状を文子が破ったことはさすがにアナーキー過ぎて、こんなことが世間に知れたら政権が潰れる可能性があるかも、と心配した刑務所長は、記者団には嘘をついた。ふたりとも感謝して恩赦場を受け取ったなどという作り話を発表したのである。おかげで「東京朝日新聞」などは、さらにそれに尾ひれをつけ、規則さえ守れば釈放される日もあるだろうと言われた文子の眼に涙が光っていた、みたいなことすら書いていたそうだ。(214頁)

 

事実は伝わらなかったにせよ、これこそが文子のラディカリズムだと思う。形はどうあれ、20歳そこそこの女子が国家を震撼させたテロリズムそのものであったろう。

 

 

『何が私をこうさせたか 獄中手記』(金子文子・2019年・岩波書店、底本は1931年の『何が私をかうさせたか―獄中手記』)★★★★★

 文子の朴烈への同志としての思いは、公判で読み上げられた有名な言葉によく表れている。100年前のこの国の裁判所で声に出して文子はこれを読んだ。

「私は朴(ぱく)を知っている。朴を愛している。彼におけるすべての過失とすべての欠点を越えて、私は朴を愛する。私は今、朴が私の上に及ぼした過誤のすべてを無条件に認める。そして朴の仲間に対しては言おう。この事件が莫迦(ばか)げて見えるのなら、どうか二人を嘲(わら)ってくれ。それは二人の事なのだ。そしてお役人に対しては言おう。どうか二人を一緒にギロチンに抛りあげてくれ。朴と共に死ぬるなら私は満足しよう。そして朴には言おう。よしんばお役人の宣言が二人を引き分けても、私は決してあなたを一人死なせては置かないつもりです」

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文子、この時23歳。人生のほとんどを学校や師と無縁に過ごしたいわゆる無籍者。文字も思想もすべて自分の家族や虐げられた生活の中から掴んだもの。文子の凄絶ともいえるものの「掴み方」に驚かされるばかりだ。

 

「…それにしても村の人の生活をこんなにみじめにするものは何だろう。遠い昔のことは知らない。徳川の封建時代、そして今日の文明時代、田舎は都市のために次第次第に痩せこけて行く。/私の考えでは、村で養蚕ができるのなら、百姓はその糸を紡いで仕事着にも絹物の着物を着ていけば良い。何も町の商人から木綿の田舎縞や帯を買う必要がない。繭や炭を都会に売るからこそそれより遙かに悪い木綿やカンザシを交わされて、その交換上のアヤで田舎の金を都会に取られて行くのだ。/ところが、部落はもちろんそんなことをし得なかった。お金という誘惑があるものだからお金欲しさに炭や繭を売る。すると町の商人は、これにつけこんでこんな部落にまで這入ってくる。行商人は半襟を十枚ばかり入れたのがひと函、昆布や乾物類がひと函、小間物がひと函、さまざまな乾菓子を取り混ぜてひと函、といった具合に積み重ねた高い一聯の重ね箱に‥‥。(73頁)

 

家族との離合集散、あまりに主体性のない母、我まま勝手な父親、女中のように文子をこき使う朝鮮に住む祖母、文子のからだが目的の寺の住職の叔父、ご都合主義の社会主義者、優柔不断なキリスト者・・・まともに文子を認めてくれたのは朴烈だけだった。その朴烈に女として付き従うのではなく、アナキストとして対等に向き合おうとする文子の思想形成の凄さに何度も驚かされる。文子は、社会主義者も所詮権力を持ってしまえば民衆を抑圧することを先験的に掴んでいた。アナキズムこそ人々を愛することのできる「思想」であることを朴との関係の中で掴んでいった。


文子に在日朝鮮人に対する差別意識が皆無であることに驚く。家庭や学校における「教育」から無縁であったこと、最下層の生活で助けてくれたのが朝鮮人であったことがその理由として挙げられるが、権力構造を否定するアナキズムが文子の独自の「生活の思想」を支えたことも事実だろう。

 


『父と私の桜谷通商店街』(今村夏子・2019年・角川書店)★★★★

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6編の短編。「モグラハウスの夢」以外は、2016年から2017年にかけて雑誌に連載されたもの。寡作でありながらこの数年注目されてきた作家の作品集。どれも日常なのに日常から少しだけずれている。ずれているところにリアリティがある。「見慣れた風景が変容する」(帯のことば)、その方法というか仕掛けが鮮やか。

最新作『むらさきのスカートの女』も買ってしまった。

 

『路上』144号(2019年7月)
仙台の佐藤通雅さんの個人発行誌。20年以上毎月購読していて、何度か文章も書かせていただいたが、お会いしたことはまだない。河北新報の「河北歌壇」の選者を30年務める歌人。今号の「22首詠 訃の人として」からいくつか。


いつの間にか視野より消えしタレントが今朝よみがへる訃の人として


メール送ればすぐ返信の世となりて三日ほつとけば死んだかと思はる


「障がい」と書くを嫌ひなうたびとをひとり見つけしはけふの収穫


ひりつけるまぶたを見むに鏡面を開けば老いを深めゆく貌


柘植の実裂けず砕けず鉄色となれるを二階出窓に飾る

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