河瀬直美、東大入学式で祝辞。ロシアとウクライナは「福はウチ、鬼もウチ」。

河瀬直美が東大の入学式で祝辞を述べた。

 

呼ばれたんだろうけど、つくづくこの人は、大きな権威、権力が大好きでそのそばにいないと落ち着かない人なのだなと思う。

 

そして話せば、NHKもオリンピックもそうだったように、ついついホンネというか馬脚というか、底の浅さを露呈してしまう。

 

一部を抜き出してみる。

「・・・金峯山寺には役行者様が鬼を諭して弟子にし、その後も大峰の深い山を共に修行をして歩いた歴史が残っています。節分には「福はウチ、鬼もウチ」という掛け声で、鬼を外へ追いやらないのです。この考え方を千年以上続けている吉野の山深い里の人々の精神性に改めて敬意を抱いています。
 管長様にこの言葉(「僕は、この中であれらの国の名前を言わへんようにしとんや」)の真意を問うた訳ではないので、これは私の感じ方に過ぎないと思って聞いてください。管長様の言わんとすることは、こういうことではないでしょうか?例えば「ロシア」という国を悪者にすることは簡単である。けれどもその国の正義がウクライナの正義とぶつかり合っているのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまっているのか。一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか?誤解を恐れずに言うと「悪」を存在させることで、私は安心していないだろうか?人間は弱い生き物です。だからこそ、つながりあって、とある国家に属してその中で生かされているともいえます。そうして自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要があるのです。そうすることで、自らの中に自制心を持って、それを拒否することを選択したいと想います。・・・」(一部抜粋)

 

何を言おうとしているのか、私には意味不明。

この論理では、大東亜戦争での大日本帝国も、今のロシア同様「正義」があって、侵略された朝鮮、中国をはじめとするアジアの国々の「正義」とぶつかり合ったということか?

これって歴史修正主義じゃないのか?

 

一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか」というときの彼女の言う「ものの本質」は、どっちもどっちそれぞれ正義があるということか?それが本質とは思えない。しかしそこに強くは言及せず「悪を存在させることで私たちは安心していないだろうか?」とちょっとびっくりさせておいて、「人間は弱い生き物です」として「国家に属してその中で生かされている」から「自分の国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要があります」という。

そしてそれを防ぐために「自らの中に自制心をもって、それを拒否することを選択」することが大事という。

 

現在のロシアの侵略を見て、将来の侵攻の可能性ではなく、なぜ15年にわたる大東亜戦争をこの国が起こしてしまったのかに言及しないのだろうか。

ロシアと同様の大きな歴史的な過ちを犯した国の属する人間のひとりとして、今起きているこの戦争をどう考えるのか。

 

これでは、道徳の時間に教師が云うような、けんかをしても両成敗、それぞれ責任があるんだから自分で自分を抑えるようにしようね的な、抽象的な個人の倫理に解決を求めるような情緒的な展開でしかない。

 

「管長様」はどう考えて発言したのかはわからないが、金峯山寺の「福はウチ、鬼もウチ」を、ロシアとウクライナの関係に重ねる何らかの必然性はまったく無く、展開は明らかに筋を違えていると思う。

ロシアもウクライナも「みなウチ」、ともに排除しないでやっていきましょうから何も生まれないと思う。

 

世界はもっと複雑に絡み合っていて、見えないところが多い。

せめて

「学生諸君!想像力をもって当事者性を獲得せよ!」

とでもいうのなら多少情緒的でもわかるのだが。

 

彼女の論理は世界を見る眼を曇らせることはあっても、視界を開くことにはつながらない。

 

f:id:keisuke42001:20220414163601p:plain

総長はじめ来賓もみなこの恰好。