橘学苑の労働問題。「個人は質素に、社会は豊かに」の校訓はいまは昔・・・。

    横浜市中高一貫校、橘学苑の報道が続いている。新聞やネットを通じてしか事態は把握できないが、この6年間で非正規雇用の教員72人(120人という報道もある)が雇止めにあっているという。

 

 

 橘学苑は1942年、東芝の社長でのちに経団連会長となる土光敏夫さんの母、登美さんが橘女学校として創立。1945年には敏夫さんが理事長となる。
 

 土光敏夫氏の名前が知られるようになったのは、1981年に第二次臨調の会長に就任したころ。校訓ともなっている「個人は質素に、社会は豊かに」を身をもって実践、普段着は使えなくなったネクタイをベルト代わりにし、食事は、玄米とメザシに菜っ葉に味噌汁。その清貧ぶりが話題となった。

 

 実際の仕事は徹底した合理化で会社を再建、臨調にあっては「増税なき財政再建」を掲げ、三公社の民営化を主張、実現した。1896年生まれ。その後、これほど強烈な経済人を日本経済界は輩出していないがために、伝説上の人物として語り継がれている人だ。好き嫌い、仕事の評価は別として、狡さのない清廉な人だったようである。


 そういう人が理事長であったことから、橘学苑は他の私立校とは全く違った別次元の学校であった。横浜市や神奈川県の中学の教員にとっては、競争原理を排した偏差値に縛られない人物評価で入れる女子高として知られていた。


 カリキュラムも独特で、70年代にはすでに生活の時間を導入、授業に農作業を取り入れ、80年代には総合の時間を創設、学力偏重、偏差値偏重に抗する独特の授業体系をつくりだしていたようだ。いわば、文科省がかたちだけ唱導した「ゆとりの時間」を先取り、実践した稀有な学校だった。
 

 70年代~80年代の神奈川県の公立高校はまさに「偏差値輪切りの時代」。

 入試は、受ける前から合否の9割以上が、事実上判明していた。

 中二生が学年末に全員受ける全県共通テスト、アテストの成績と、5段階相対評価の成績を学区ごとに全部の中学の進路指導が事前に持ち寄り「調整」をする。上から定員によって切っていくため「輪切り」と呼ばれた。

 「十五の春を泣かすな」という理由から官民一体となってつくりだされた選抜(選別)方式だった。
 

 私立高はと云えば、こちらもアテストと5段階相対評価を合わせたいわゆる「基準」を事前に提示、その成績をクリアした生徒は「確約」をもらうのだった。公私立とも、入試はいわばセレモニーとなっていた。
 

 

 橘学苑はそんなシステムの中で異彩を放っていた。基本的に成績は見ない、中学の教員が人物を評価、推薦してくれるのであれば、面接試験を受験。生真面目で一つのことに没頭できるが、テストの成績は振るわない女子、そうした生徒はどこにでもいる。今でいう発達障害と思われる生徒も含めて、保護者ともども受験の悩みは尽きなかった。そんな生徒をそのまま「輪切り」のシステムにほおり込めば、思わぬ高校への不本意入学となってしまう。そんな生徒に橘学苑を勧めたことが何度もあった。


 今でこそそうした高校は珍しくないが、橘学苑の場合は、日常的な学校生活の中に確固としたものがあった。在学中にいかに自分の高校が良い学校なのかを話しに来てくれた数少ない高校のひとつであったし、「3年間で成長できました」という生徒、保護者の声を、これも何度も聞いた。

 すごいなと思ったのは、当時橘学苑はそうしたシステム、取り組みを特段「売り」にはしていなかったことだ。学校訪問に訪れる橘学苑の先生と長い時間話し込んだこともある。うちはこんなにすごいことやっているんです、という雰囲気は全くなかった。公立中学でいじいじしていた私には、それはとっても新鮮なことだった。


 そんな橘学苑だから、今度の報道に驚かされた。
 

 しかし、驚いたあとに「さもありなん」と思うのだった。

 というのも、21世紀に入ってからの橘学苑は、かつてのアイデンティティを放棄し、新しい学校に変わっていったからだ。土光敏夫さんは88年に亡くなっている。
 女子中を共学化、そして全面共学へ。高校も全面共学化。国際コースを創設してニュージーランド留学開始。施設の拡充と部活動の振興に力を注ぐようになる。

 もちろん入試も他の私立高校との相違が見えなくなっていく。90年代から始まった私立高校のSI(スクールアイデンティティー)戦略と歩を同じくし、いわば学力向上を目指す「よくある私立校」になっていく。
 

 

 そんな中で今度の問題が表ざたになっていったということだ。
 

 企業の非正規化同様、学校も公立私立に限らず非正規化が進んでいる。特に私立の非正規化は激しい。正規教員となりたいのならと、正規雇用を餌にブラックな仕事を強要する経営が増えている。1月に起きた東京・正則学園の問題も根は同じである。
 

 70人(120人)が解雇されたというが、改正労働契約法による無期転換の対象となった教員も多くいたはずである。悪質企業同様、勝手に3年と任期を切って契約を進めていた疑いもあるという。

 詳しいことはわからないが、経営が営利目的のテニススクール用のドームを敷地内につくったことに対する批判を封じ込めるため、という話もある。ネットではその空撮写真もでている。
 

 生徒の人権と自主性を重んじた校風は今は昔。しかし、高校は親が自ら通って充実した高校生活を送れたからと、我が子を入学させるケースもある。かつての橘学苑をそうしたケースを好意的に受けいれていたことも事実だ。

 そんな保護者からすれば、現在の橘学苑のありようは天と地ほどの違いがあるものと映っているのではないか。この件での説明会で保護者席から「校長、逃げるな!」という声が飛んだという。口先でごまかし、逃げを決め込む校長と追及する保護者、正しいのはどちらなのか。

 

 橘学苑のもう一つの校訓に「正しき者は強くあれ」がある。まっとうに保護者と向き合わない経営が正しいわけがない。いたずらに強引なだけなのではないか。

私のクラスから橘学苑に進んだ数人の女子生徒の顔が浮かんでくる。

 かつて輝き、共感を得ていた橘学苑のためになにかできることはないか、考えている。
  

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庭で咲き始めたモッコウバラ