「苦い」映画 『ベロニカとの記憶』

 3年前に見た映画『めぐりあわせのお弁当』(2013年印・仏・独105分・監督リテーシュ・バトラ)は、良くできた映画で、少しの破綻もなくほぼ完璧に最後まで愉しめた。ディテールはもう覚えていないが、見終わったときの満足感、快哉が今でも残っている。その監督リテーシュ・バトラの2作目という『ベロニカとの記憶』(2017年・英・108分 原題:The Sense of an Ending)。ワクワクしながら本厚木の映画ドットコムへ。
 残念だが、期待は裏切られた。この映画、ひとことで言えば「苦い」映画である。
激しく揺れ動く青春の時間。私たちは主人公のトニー同様、人生の長い時間をかけて都合よくそれを編みなおし、反芻する。反芻しながら編みなおす。それは甘やかで悲劇的な面も含んではいるが、その後の自分を脅かすものにはならない。ある意味、自分のアイデンティティーを形成する記憶。
   主人公トニーは、50年以上もの時間を経て、その記憶が「他者」の現実や感覚を取り入れることをせず、自分ひとりで口の中で転がす甘やかな変わり玉であったことを知らされる。それはいわば過去からの復讐。
 「平穏で一人きりの引退生活を送るトニーのもとに見知らぬ弁護士から手紙が届く。日記と500ポンドをあなたに遺した女性がいると――。その女性は四十年前に別れた初恋の相手ベロニカの母親だった。託されたのは高校時代の親友でケンブリッジ在学中に自殺したエイドリアンの日記で、別れた後ベロニカは彼の恋人になったが、その日記がなぜ母親のところにあったのか」(高崎敏夫氏(映画評論家)の紹介から)。
 3人の友人の中でとびきり優秀であったエイドリアン、世界を冷ややかに突き放して見る彼と同じ位相で文学や哲学を語れることに優越感を抱く主人公のトニー。そのトニーが初めて恋人として付き合ったのがベロニカ。しかしベロニカはトニーよりもいつも高みに立ってセックスも簡単には許してくれない。含みをもった少女なのだ。いつしかトニーのもとを去ったベロニカは、エイドリアンと付き合い始める。エイドリアンはトニーに対し、「そうなってしまったこと」について友人として許しを請う手紙を出すが、トニーは平静を装って二人を祝福さえした手紙をエイドリアンに送る。
 映画には、トニーが別れた妻マーガレットとたびたび会って、ベロニカの話をするシーンが挿入されるが、トニーのどこかうれし気な様子をいぶかるマーガレットの気持ちを、トニーはうまくつかむことができない。
 トニーは、出産直前のマーガレットとの間の娘、彼女も離婚しているのだが、その育児教室にも出掛け、いつでも彼女を支える準備をすることで、離婚はしていても今でもマーガレットともつながっていて、自分の人生がそれほど悪いものでなかったと思い込もうとする。
 映画の急展開は、一つはトニーが「祝福」したと思っていた手紙が、実は二人を追い込むほどのすさまじい悪意に満ちた手紙であったこと、そしてエイドリアンはすでに亡くなっていること、エイドリアンの日記がベロニカの母親の手元にあった理由は・・・・。これは秘密にしておいた方がいい。
 映画の早い部分で、トニーがベロニカの実家に遊びに行くシーンがあるが、ベロニカの父、母、兄、それぞれの思いが交叉して、何とも言えず不思議なシーン。実はこれが大きな布石となっている。ラストシーンで明かされる秘密は、このシーンとつながっていて、醜悪でそして痛切でもある。
 原作『The Sense of an Ending』(ジュリアン・バーンズ・土谷政雄訳・邦題『終わりの感覚』新潮社クレスト・ブックス2012年)を読んでみた。映画化によって去年暮れに6刷が出ていた。正直、映画を一度見ただけでは腑に落ちないところがいくつもあったからだ。娘の出産と育児教室のシーンは原作にはなく、これは監督がトニーの自分の人生への心情を表現するために挿入したものであると知れた。
 原作のラストシーンは映画よりさらっとしていて、かえって胸を突かれる。原作、映画に共通するのは、年を重ねてからのベロニカのシーンが少ないこと。これがかえって観客、読者の想像力を刺激する。ベロニカ役は、シャーロット・ランプリング。『さざなみ』(2015年・英・95分・監督アンドリュー・ヘイ)での演技は忘れられない。よくよく考えてみれば、この映画『さざなみ』と似ていなくもない。彼女の演技が抑制されていてトニー役のジム・ブロードベントと好対照になっている。
 それにしても、トニーの年齢は今の私とほぼ同じ。私もまたトニー同様、甘やかな変わり玉を口に含んで生きてきたのだろうか。しかし私には、トニーのように重い悔恨を引き受けられるほどの度量はない。あたふたとしてしまい、過去に押しつぶされながら朽ち果てていくしかない、たぶん。「苦い映画」というのは、つまりそういうことなのだ。
 

 

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