カワセミ

 今朝6時半、今日も曇っているだろうと思って外に出てみると、意外に強い日差しがさしている。帽子をとりに戻り、いつものように二人で境川河畔の遊歩道へ。

 対岸は大規模開発が始まって1年、5~6mの高さの壁が200m以上にもわたってつくられてしまったので、いつも東京女学館のある側を歩いている。こちら側は朝方は日陰になり、壁のうっとうしさもない。

 ほらっという連れ合いの高い声に驚いて、指さす方を見るとやや大きめのカワセミが水面7~8cmを滑空して10mほど先の葦にとまる。葦に揺られながら狙いを定めたのか見る間に水に飛び込み、小魚をゲット。30秒ほど後にも同じようにもう1匹ゲット。青い羽をひらめかせての美しく素早い動きを、今朝は2度も見せてもらった。

 大きな一眼レフのカメラをもって歩いている男性、いつもは目での挨拶だけのことが多いが、今朝は何やら嬉しそうに話しかけてくださる。今カワセミが…と連れ合いが話しかけると、お返しに

「ツバメがね、空中で子どものえさをやっているのを昨日見たんです」

ツバメは飛んでいる虫を捕まえて、ホバリングしながら子どもに与えるという。私はそんな光景を一度も見たことがない。

「写真、撮れました?」

 首を横に振る男性に「今度、撮れたときに見せてくださいね」と声をかけて別れる。

 ひいひいと断末魔のような声を出しながら、からだを傾けたままランニングする初老の男性、べたべたっと大きな足音を立てながらすごいスピードで走り抜ける若者、いつも姿勢よく腕をしっかり振って歩く中年女性、犬も飼い主同様しっかり前を向いて散歩する老人、散歩では互いに顔は知っているけれど、何年も声を交わさない人が大勢いる。

 彼らがいつもどんな仕事をしているのか、どんな生活ぶりなのか、どんな人生を送ってきたのか、勝手に想像をふくらませる。そして、自分もまたそんなふうに眺められているのだろうと、今更ながら気がつく。自分には自分が見えないものだ。

 思いついてブログをはじめることにした。この3月まで100人ほどの方々に近況や私見を郵送やメールでお伝えしてきた。組合の通信『横校労』の添え文としてである。

 少数組合ゆえか40年近くも執行委員を続けてきたのだが、それをこの4月に辞めた。「添え文」に関わる作業もしんどくなってきたので、あわせてやめた。

 すると、なんだかちょっと手持無沙汰である。そこで手間も郵便料金のかからないブログをはじめてみようと思いたった。いつまで続くかわからないが、日々の備忘録のつもりで書いてみるつもりである。