6月のあれこれ⓶ 東北の旅その1

6月のあれこれ⓶

 6月17日、田園都市線藤が丘駅近くの”健康中華青蓮”で、がんサバイバーの会。会として3回目。部位は違えど、がん治療をおこなった3人の情報交換と相互慰撫?の会。

今回は、予後のしんどさから退職を余儀なくされた人の近況を聞く。3時間近く話し込む。経験した者同士の安心感にとどまらないつながりを感じる会。

 

 突然だが、東北旅行。

大人の休日倶楽部パスを使っての4泊5日の東北の旅。

今まで福島を除く秋田や青森を二人で回った旅は3回。飛行機を使った旅、旅行会社のツアー、レンタカーの旅。

すべて電車、新幹線という旅は初めて。

長くならない様に要所要所を締めて、記していく。

 

出かける前の準備、ほとんどは駅ねっとを使ったチケットの予約。

旅程を立て、それに合わせて新幹線の指定席を取っていく。初めてのせいか骨が折れた。

5回までは無料で指定席が取れるが、行程すべてを新幹線というわけにはいかない。短い区間を自由席としてして、押さえていく。

ネットでとってもチケットはすべて「紙」にする、そのため駅の指定券発売機にまでいく。一度では済まなかった。二人分、合わせてとるために何が必要かわかっていなかったからだ。

二人で十数枚のチケットを持参して旅をするのは初めて。

 

6月21日

パスの使い初めは長津田駅。少しドキドキしながらパスチケットを改札機に通す。無事に戻ってくる。誰も見送りには来ていないが、さながら矢立初めの千住大橋か。

新横浜で東京駅までの特急券を買う。パスと合わせて新幹線の改札に通すも、ピンポンと音がする。

近くの若い駅員に尋ねて勘違いに気づく。

東海道新幹線はパスの対象でないことは知っていたから、特急券だけ購入したのだが、

新幹線の走る線路もJR東海のもの、というわけだ。東海道線の線路はJ R東日本のものだが。

新たに乗車券を購入してのぞみの自由席に乗る。

5、6分に一本の発着がある新横浜、とにかく来た列車に乗る。

新横浜でもたついたせいか、東京駅10時発車のつばさ133号にぎりぎりで間に合う。

やまびことつばさの連結列車、キャリーケースを引っ張りながらホームの端まで歩く。

 

12時07分、米沢着。米坂線に乗り換える。初めて乗る在来線。米沢と坂町の間を走る路線。

20分ほどで羽前小松。小さな駅。清潔なシャワートイレ。高校生は電車の中で問題集を広げている。

 

昼時。駅前の「あっさり食堂」という店に入る。

あっさりしたラーメンにミニすじ丼のセット。すじ肉が名物なのだとか。美味。

 

駅に戻る。

無人駅だが、駅舎の中に小さな井上ひさしの展示。

 

跨線橋を越えて駅の南側に出ると、突然イザベラ・バードを模した看板と鐘。

46歳のイザベラ・バードが日本奥地紀行で福島を経て置賜地方を訪れたのが明治11年

飯豊町からここ川西町(旧小松町)を通過し、上山、山形、天童と山形県を北上する。

山形県内にはバードのバードの碑が6箇所もあるという。会津地方でバードのバードの碑は見たことがない。

飯豊町に至る前にバードは会津地方を克明に記録しているのだが。

経路は、栃木県から今の国道121号線を北上、南会津・田島、大内宿を経て、高田、坂下(私の出身地)、片門、野沢(喜多方の西)、野尻、車峠から新潟県津川に入ったとある。ここから船で新潟に向かい、陸路飯豊町に向かったようだ。

 

脱線ついでに坂下(現・会津坂下町)についてのバードの記述を見てみる。

 

「ここは人口五千の商業の町である。まさに水田湿地帯の中にあって、みすぼらしく、汚く、じめじめと湿っぽい。(中略) 干魚をつめた俵がいっぱい入っている小屋に入った。干魚からでる臭いは強烈であった。(中略) ヨーロッパの多くの国々や、わがイギリスでも地方によっては、外国の服装をした女性の一人旅は、実際の危害を受けるまでは ゆかなくとも、無礼や侮辱の仕打ちにあったり、お金をゆすりとられるのであるが、ここで私は、 一度も失礼な目にあったこともなければ、真に過当な料金をとられた例もない。群衆にとり囲まれても、失礼なことをされることはない。(中略) 彼らはお互いに親切であり、礼儀正しい。それは見ていてもたいへん気持ちがよい。」(reports福島の日々から)

 

維新から11年。戊辰戦争の舞台にもなった坂下だが、ここでは宿場町の人々の清貧な様子が描かれている。

イギリス人の中年女性の旅。大変な好奇心の持ち主。

 

さて、200メートル先に遠望できる大きな青い屋根。

川西町のフレンドリープラザ。

この中に遅筆堂文庫・劇場・町立図書館が入っている。

今回の旅の最初の目的地。現・川西町だが、元々は小松町。

井上ひさしは1934年(昭和9年)に、小松町で生まれる。こまつ座の名前の由来となったところ。

 

遅筆堂文庫の入り口

町の図書館と繋がっていて、ここまでは入場料は無料。年譜やひょっこりひょうたん島の影絵など子どもたちも楽しめる展示井上が寄贈した本は22万冊に及ぶ。その多くがここに収蔵されている。

左の奥に「書斎」をそのまま移したスペースがある。ここは300円。

書斎の椅子にも腰掛けられる。書斎にあった書籍が展示されている。写真撮影は禁止。

ここで学芸員の方と思われる方に話を伺う。

胸のネームプレートには「井上」とある。

Mさん「井上さんなんですね」と言うと、「ハイ・・・」。なにか含みが。

お名前の方は?と聞けば、「ひさし」です、と答えたはず。

 

というのも、3つ目の訪問地酒田で、Hさんが「そういえば昨日、NHKで面白い番組やっていたよ。地方局だけど・・・」

あとで調べてみたら、

 

 

 

 www.nhk.jp

が見つかった。この方が井上恒(ひさし)さん。

ご本人の名前については何も伺わなかったけれど、資料の収集などについては詳しくお話を伺った。

ひと教室くらいの広さ、窓側には読書スペースも。 

ここでエッセイを4本読む。

広い交流スペースでMさん休憩中。

奥の劇場をそっと覗いてみる。

リハーサルの真っ最中。演目はわからない。700席を超える立派なホール。毎年井上作品が上演されているという。

たっぷりした交流スペースには、ホーン型スピーカーが置いてあって、レコード鑑賞会が開かれているそうだ。

 

歩いて駅へ戻る。

米坂線で米沢。わずかな期間なので、ここは指定券を取っていない。

あとでわかったことだが、全席指定のつばさの場合、大人の休日倶楽部パスは、指定券がなくても乗れるし、空いている席に座ってもいいのだそうだ。

知らなかったので在来線で奥羽本線山形市へ向かう。

 

今日の宿泊は山形駅前 のアパホテル