メインは中学校社会科教科書の再採択。
昨年、長い間の自由社、育鵬社から帝国書院が採択されたが、今年になって新たに自由社額のの検定を通過。自治体によってはそのまま何もしないところも。
横浜市は再採択をやるということで、注目されることに。
結果は、全員一致で昨年の採択を踏襲して帝国書院に。
この十年ほど3対3で同数の時は最後の1票を教育長がいれる、つまり教育長2票という不思議なシステムまかり通ってきたが、今回はそうならなかった。
少しはましになったという意見もあるが、一方では育鵬社や自由社と他の教科書会社の間で大きな懸隔がなくなってきたのではないかという意見もある。
きょうも中上という役人上がりの委員が発言したが、従軍慰安婦という言葉はこの4月の閣議決定で使用しないということになった。教科書もそれに従うべきと思うがという意見を述べた。事務局は、文科省に確認したところ、そのような形で対応することになるとのことだったので、生徒の手に渡るときには「修正」されているはずとの答弁。
横浜には146校の中学校がある。小さな自治体なら中学は数校だ。
なるべく小さな単位で選ぶことが大事なのに、広域採択という形で何万人もの生徒が使う教科書が、6人の教育委員の意見で決められてしまう矛盾。
歴史の見方は光の当て方によって大きく違ってしまうことがある。
行政は政治にかなわない。押し付けられた「修正」が「事実」になってしまう。
それを支えているのが教科書検定だ。
検定を通らない教科書は使えない。
それでいいのだろうか。国が推奨する歴史、国が認めたくない歴史・・・。
政治はいつも子どものアタマを支配したがる。
教員は時にその片棒を担ぐ。
そうならないためには、いろいろな教科書があるほうがいい。検定を廃止して、
教員が教科書を選べばいい。教員は教科書を選ぶ見識を持つべき。
そしてなるべく小さな単位、学校単位で教科書を選べばいい。
教員は選んだ教科書をいくつか使って授業をしたほうがいい。
もう現場では使われなくなったことば。
教育の自由。
このことばから豊かさが脱色して、「教育が自由になんておかしいじゃん」と思われるようになってずいぶんな時間が経った。
自由闊達な議論には程遠い今日の教育委員会議。
ここにYouTubeのアドレスを載せようと思ったら、中継のみで録画は公開しないようだ。まあ、公開に耐えるような代物でもなかったが。