セアート勧告を学生はどう受け止めたか④

以下は、最後のまとめに私が書いて学生に提示したもの。あまりまとまっていませんが、載せておきます。

 

ILOユネスコの合同委員会報告に対する文科省の対応についての記事のみなさんの感想,まとめました。私のコメントも逐一付けてみましたので,読んでみてください。

みなさんのコメントの中には「公務員なのだから拒否するのはおかしい」という意見が多かったように思います。それについて少しだけ。

公務員であっても,国の政策に対して異を唱える権利は誰にでもありますし,投票行動を含めてさまざまな方法で批判的主張をする権利があることは皆さんもお分かりだと思います。日本は欧米諸国に比べ,公務員の権利が抑制されていることはよく知られています。一番わかりやすいのは労働者としての一番大きな権利であるストライキを行う権利を付与されていないこと。警察や消防のストライキがフランスなどではごく当たり前にやられていますが,日本では見たことがありませんね。

というのも,たとえば先日亡くなった中曽根元首相の「功績」といわれる国鉄の民営化ですが,実はこの民営化は国鉄労働者の団結の力を削ぐための政策であったことはよく知られています。私が教員になったころ,国鉄を始め交通関連のストはかなり頻繁にありました。ストで電車が止まることもしばしばありました。ちょうどそのころ公労協という三公社五現業国鉄,専売公社,電電公社の3つの公社と郵便などの5つの現業)を組織する労働組合が,ストライキ権を求めてストをするといったことがありました。これは世間を揺るがす大きな問題で,民意はその方向に動き,政府はこれを条件付きで認めるほかないという方向に向かっていました。しかし,こうした労働者の権利要求を放置することに危機感を抱いた政権側の反転攻勢は,組織を民営化・分社化することによって労働者の団結の力を弱めようとするものでした。大きな反対運動がありましたが,三公社五現業はすべて民営化され,国鉄はいくつもの会社に分社化,結果的に電車を止めてのストなどはほとんどなくなってしまいました。消費者の立場からすれば交通ストは迷惑なものですが,しかし労働者が自分の権利のための戦術としてのストライキは,憲法でも認められた権利であるのに,抑圧されてきた歴史がこの国にはあるのですね。

教員の場合を考えてみましょう。公務員であってもストライキ権を有すると考えるのは実はごく当たり前なことですが,教員の場合は少し事情が違います。もとより教員給与は安く,そのうえ他の公務員とは別に残業手当は支給されていませんでした。1960年代後半から,教員にも残業手当を払うべきというたくさんの裁判が行われました。裁判所は当然の権利として教員にも残業手当を支払うべきとして,最高裁もそうした判決を出すところまできていました。そこで出てきたのが,皆さんが知っている給特法です。教員は他の労働者と違って教育を担う聖職者なのだから,残業手当などという一般労働者のようなやり方ではなく,「勤務時間内外を包括的に評価」して,つまり勤務時間外も教員は教員の仕事をしていると考えて,そのための代替措置として4%の教職調整額を支払う,代わりに残業手当は支払わないという法律をつくったのです。『聖職のゆくえ』にも出てきた当時の自民党若手文教族のしわざ,それが今どんな問題を引き起こしているか,皆さんはよく知っていますね。

民営化も給特法も,つまりは労働者としての権利をはく奪するものとしてあったということです(と私は考えています)。三公社五現業の人達は,それぞれ分社化され力をそがれ,大きな闘いができず,個別に組織が解体されて行きました。この切り崩し,労働者弾圧にはすさまじいものがありました。当時,国鉄の労働者だった知り合いや親せきの人がいたらぜひ聞いてみてください。

教員は給特法のほかに人材確保法によって他の公務員より比較的高い給与を支払われ,いつしか組織も弱体化し,いまでは労働組合の組織率は20%台になっています。

みなさんに考えてほしいのは,「現在」は過去の歴史の延長上にあるということ,そして過去をしっかりと振り返らないと現在の問題は見えてこないということ,そして「過去」には人々のさまざまな思想のぶつかり合いがあったということ。「今」を切り取って「今」の思想や風潮からだけで物事判断しないでほしいということです。

国旗国歌についても同じことが言えます。戦前戦中の全面的な国家神道に基づく天皇を中心とする政治体制が帝国主義戦争を起こし,市民80万人を含む310万人以上の日本人やアジアの多くの国の人々の犠牲を起こしたことから,その侵略の象徴だった日の丸は戦後長く忌避され,君が代はあまり歌われませんでした。戦中,日の丸や君が代がどんな役割を果たしたかは様々な研究がありますからぜひ勉強してほしいのですが,戦後あらたに日の丸・君が代を学校の中に復活させようという動きは何度も出てくるのですが,顕著に出てくるのは1989年のことです。全国的な実施調査を行い,そこから学習指導要領への記載や地教委レベルでの処分を背景にした強硬な「義務化」が始まりました。

さきほども述べましたが,1989年は戦後生まれの人がかなり増えてきた時代,日の丸君が代への忌避感が少しずつ薄らいできていたころです。ジャパンアズナンバーワンとかバブル経済が沸き起こったころです。日本は胸を張って世界に出ていくべきといった風潮が強くなったころ,そして1979年に靖国神社A級戦犯が合祀されたころから,首相の靖国参拝が始まり,中曽根首相の時には大きな問題になっていました。A級戦犯東条英機など戦争責任の最も重い人たちを靖国神社に合祀し,そこに行政の長が公的に参拝するという出来事は,世界,とりわけアジアからすれば,戦争の総括も反省もしない国との認識を強めたのでした。

その10年後,今度は国旗国歌法が成立します。それまで,国旗も国歌も法律では規定されていなかったのです。

そして現在2019年。法制化から20年が経ちました。多くの人が日の丸は日本の国旗,君が代は日本の国歌だと考えるようになり,忌避感を感じる戦前・戦中世代,戦後間もない世代はどんどん少なくなってきています。昭和天皇はとっくに代替わりし,今年平成天皇から新たな天皇に替わりしました。パレードの時には日の丸が配られ(誰が配っているのか分かりませんが),それを振る人たちがたくさんいました。だから,みなさんが日の丸を掲げ,君が代を歌うのは当然と考えるのはけっしておかしなことではないかもしれません。しかし,ああいう姿を忌まわしい記憶として感じる人もいることを忘れてはいけないし,そう感じるのは日本人だけではないことを忘れてはならないと思います。日本はアジア諸国の人々に日の丸を掲げ,君が代を歌うことを強制し,侵略,植民地化した歴史があります。昔から言われることですが,足を踏んだ方は痛みを忘れるが,踏まれた方は忘れない。ヨーロッパではいまだにナチスの戦犯の捜索が続き,逮捕されれば裁判にかけらます。ドイツは周辺諸国に対し謝罪の姿勢を常に表します。ドイツが難民に対し現政権が寛容な政策をとるのも,戦中のナチスによるドイツの欧州支配の記憶が残っているからです。

日本では韓国の徴用工の問題,従軍慰安婦の問題が出ると,すべて過去の問題,政治的には終わっているとする考えをもつ人が多いのですが,70数年を経てもいまだに過去の歴史を過去のものとせず,現在の政治の問題と考える人々が欧米では多数であることも事実です。

そういう歴史の中に日の丸・君が代があります。では,国旗・国歌を「是」とする人が多数派になれば,「否」と考える人は駆逐されなければならないのでしょうか。私は,人々の思想信条は最大限尊重されるべきであると思うし,それは公務員であっても変わらないと思っています。たとえ政府が決めたとしても,それに「否」を唱える権利は万人にあると思うのです。

自分のことを書きましょう。コメントの中にも書きましたが,私は教員という仕事について一度も君が代をうたったことがありません。私は戦争も体験していないし,特別に君が代を忌避する経験をもっているわけではありません。ただ,自分が一市民として,一教員として若いころから学び,身に着けてきた考え方,思想に従っているだけです。だから,生徒らに向かって「歌え」とか「歌うな」といったことはないし,同僚や管理職に対しても「自分はこういう考え方から立たないし歌わない」ということは職員会議などで伝えてきただけです。管理職にはそれとは別に儀式の事前に「立たない,歌わない」と伝えました。生徒には聞かれたときだけ自分の考えを話しました。もちろん生徒の中にも「歌いたくない」「歌えない」という生徒がいました。理由は宗教的なものに限りません。それも当然尊重されるべきであると思ってきました。

「口パク」でいいのではないか,という意見もありました。そういう対処の仕方を私は否定しません。現にそういう人をたくさんみてきました。ただ私はそういう方法をとりませんでした。ただ,それだけ。そういう人もいるということを認識してほしいなと思います。

歌うことにひっかかりを感じない人は,歌いたくない人の気持ちがなかなか分からないものです。どうしてそれくらいのことができないのか?みんながやっているのになぜひとりだけ? 公務員なんだから歌うべきだろう? 

人にもものごとにも歴史と思想というものがあり,そういうものへの想像力がないと,世の中の流れに流されてしまうということ。強いもの,大きいものの価値だけでなく,弱者の,少数派の価値をいつもみなさんには気に留めてほしいなと思います。

うまく書けませんでしたが,公務員だから黙って従うべき,君が代も歌うべき,とは考えてこなかった私の個人的な思いを書きました。