Rさんのお通夜  生死する命を精いっぱいに生きていくこと

6月26日
昨日、午後から昭和大学でCTを撮る。造影剤を入れるのは初めて。からだが熱くなる。

 

いったん帰宅して弔問へ。

91年にU中を卒業したRさんという生徒のお通夜である。22日に卒業生のI君が知らせてくれた。


享年43歳。中学時代、ショートカットで小柄な落ち着いた「お姉さん」的な生徒だった。中1と中3で学級担任をした。脳腫瘍。早すぎる死である。


Mさんに瀬谷駅までクルマで送ってもらう。相鉄で横浜に出て京浜急行に乗り換え、快速特急金沢文庫


式場は弔問客でいっぱい。3人の子どもさんの同級生、制服姿の中学生、高校生も多い。


焼香は5人並んで。みな故人への思いがあるのだろう、一人ひとり熱心に手を合わせているせいか、なかなか進まない。

あと2列となったところで、親族席のお兄ちゃんとお母さんから目で挨拶される。お兄ちゃんの授業も2年間もった。お母さんとは懇談会や面談で何度も。思わず目頭を押さえられたのでこちらもこみ上げてくる。

遺影は中学生の頃の面影をわずかに残しているが、私の知らない大人の笑顔のRさんだ。勉強がよくできて、スポーツも得意、バスケットボール部ながら運動会ではリレーなどで活躍する女生徒だった。供花の中には高校のバスケットボール部の同期からのものがある。

I君からの電話の後、同じクラスだったKさんという卒業生と電話で話した。Kさんは、フリョ―女子グループのトップで、3年間を私のクラスで過ごしたが、彼女は今でもRさんを○○ちゃんと呼ぶ。一目置かれる存在だった。

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焼香をしてなんとも胸塞ぐ思いで、お清めには寄らず会場をあとにした。

 

帰途の電車、弔問お礼のはがきとともに小さな紙が入っているのに気づく。
「私たちは清め塩を使いません」とある。浄土真宗のお寺は関東にも多いが、こうして「清め塩を使わない」ことを明示することは少ない。文は、仏教では死を穢れとは受け止めないとして、
『「死もまた我等なり」と受け止め、生死する命を精いっぱいに生きていくことこそ人間としての生き方であると示しています』とあった。少し気持ちが柔らぐ思いがした。

 

寝る前、I君から電話が入っているのに気づく。