4月28日
気温の乱高下が続いている。今朝は8℃。散歩に出かけるのにいったん外へ出たのだが、あまりの寒さにジャンパーを取りに戻った。
おとといは、雨なのに春気分でシャツに綿のベストで出かけてしまった。時季に合わせて、というのが昔から苦手だ。
昨日は三鷹へ二人で出かけた。三鷹市芸術文化センター「風のホール」でフィルハーモニア・アンサンブル東京のコンサート。もちろん初めて。
チケットは友人のNさんにいただいた。
横響に入っている友人のNさん、ヴァイオリン弾きだが、こちらのオケにも入って活動しているのだという。きょうは第二ヴァイオリンのところに。
「曲は同じでもボウイングが違うから大変なのよ」。
このチケット、アマチュアのオケなのになんと3000円!これは思わぬ何かがあると興味津々で出かけた。
出かける前は、会場近くにあるという太宰治サロンと山本有三記念館を見学して、などと考えていたのだが、昼食を駅ビルのそば屋で済ませて歩き始めたら、間違えてジブリの森のほうまで行ってしまった。方角違い。ずいぶん歩いた。
アンサンブルと呼称していても、40数名の編成。男性は黒系の上下だが、女性はそれぞれ着飾っている。こういうのは初めて。揃いの制服よりずっと自由で華やか。
ヴィオラ奏者の土屋邦雄さんを慕ってつくられたオーケストラ。コンサートは土屋さんのおしゃべりから始まった。
土屋邦雄さんは、日本人として初めてベルリンフィルの一員となった方。
今でこそ樫本大進さんがベルリンフィルの第一コンサートマスターを務めているが、1950年代に日本人があのベルリンフィルの一員となることなど考えられなかった時代。
レコードでクラシックを聴いてきた私たちの世代では、ベルリンフィルと云えば何と云ってもフルトヴェングラー、それを引き継いだのがあの帝王カラヤン。殊にカラヤンはすごかった。カラヤンと云えばだれでもがその名前を知っていた。
プログラムには、そのカラヤンが登場するベルリンフィルのオーディションのシーンが紹介されている。
団員になりたいと集まった志願者たちが次々と演奏していく。ベルリンフィルの終身首席指揮者兼芸術総監督カラヤンと楽団員がこれをじっと聴いている。
土屋さんが弾き終わったとき、カラヤンは急に立ち上がって彼に歩み寄り、右手を差し出してきたという。期せずして楽団員の割れるような拍手が沸き起こり、それ以後のオーディションは中止された。これが1959年のこと(一部wikipedia)。
土屋邦雄氏
この伝説以来、2001年まで土屋さんは40年以上にわたってベルリンフィルでヴィオラを弾いてきた。
帰日以降はドイツ、日本双方を拠点に演奏、指揮を続けておられる。現在85歳。おしゃべりにも指揮にも衰えのようなものは全く感じられない。初めてその雄姿を拝見した。
小澤征爾さんに「指導してほしい」と願う指揮者はいくらでもいるが、小澤さんに「指導させてくれ」と云われた指揮者は僕だけ、という軽妙なお話しぶりも楽しい。
その指揮は、流麗、華麗というよりどちらかと云うと武骨、とお見受けした。
別の言い方をすると、情緒、雰囲気に流されないきっちりとした構成美をつくりあげていくタイプのようだ。
プログラムは、メンデルスゾーン「フィンガルの洞窟」作品26から始まった。
驚いたのは小編成であるのに音が大きいこと。やたらに大きい音を出すというのとは違う。オケ全体がバランスよく大きな音をもっているということ。これはタダのオケではないなと思った。そのうえ、変な力が入っていない。おひとりおひとりの技量がかなり高いのだろうけれど、土屋さんの、オケを鳴らす技法が長けているのだろうなと思った。これはアマチュアというレベルを超えている。Nさん、こんなところで弾いてるのか!すごい。
2曲目。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第三番ハ短調。ベートーヴェンってハ短調好き。
ピアノは元井美幸さん。土屋さんのおしゃべりによると元井さんはウイルヘルム・ケンプの孫弟子にあたるとのこと。
ケンプという名前もなつかしい。何度か日本に来て演奏したのを土屋さんは聴いているというが、私はもちろんレコードでしか知らない。
ホールのことを書いておこう。風のホールと名付けられたこのホール、客席は650席。シューボックス型と云うのだろうか。自治体のホールには多目的ホールが多いが、ここは優れた音楽専用ホール。遅れて着いたから後ろから2列目の席だったのだが、すっきりとした音でとっても聴きやすいと思った。
もうひとつ、今時どのホールに行っても、ピアノはスタインウエイがほとんどだが、今日元井さんが使用したのはベーゼンドルファー。ピアノの側面の文字が独特。昔から豆知識で名前だけは知っている。
長い前奏部を待って元井さんが弾き始めたとき、いつも聴いていると違う音がした。弾き方の問題ではなく、根本的に違うと感じられた。ボリューム感はあまり感じられないが、より軽やかな感じ、すっきりしていると感じた。素人のそれも老人の耳、思い込みの域を超えない感想ではあるのだが。
30分の長い曲だが、三者の意思疎通がよく見えて、素晴らしい演奏だった。私なんかが知らないピアノの名手が、この国にたくさんいるのだろうなと思った。
休憩をはさんでモーツァルトの交響曲40番。これは、4月21日、Nさんが参加している横響の第694回定期で聴いたばかり。この時は40番だけでなく、大ミサ曲ハ短調という大曲も披露。大人数の合唱団もよくまとまっていて、素晴らしい演奏だった。
その横響の40番は、とってもやわらかくやさしい演奏だったが、広がり、メリハリという点で若干不満が残った。
今日の演奏は、初めにも書いた通り基本的にオケという楽器全体の音が大きく、余裕があるように感じられた。モーツァルトは土屋さんの得意な作曲家なのだろう。互いの信頼関係が伝わってくる演奏。
オケに膂力(りょりょく)がしっかりとあるから、モーツァルトの疾走感が、汗水流してという感じにならずに心地よく伝わってくる。
私は勝手に思い込んでいるのだが、モーツァルトの楽曲には、と云ってもすべてではもちろんないが、いつも何かが起きるようなドラマチックさと、同時に死に向かうような言いようのない不吉な予感のようなものを感じさせるものがある。
今日の演奏には、それがほどよく感じられて気持ちよかった。
ただ、4楽章、つまり曲の終盤にいくにつれ、やや「余裕」がなくなり、力が入りすぎ、疾走感と不吉な予感に若干翳りが感じられた。
ふだんはそれぞれ仕事をもった方たちが集まって、これだけのプログラムをこなすというだけで大変なこと。やや疲れが、というよりちょっと本気になりすぎちゃったのかなと思った。100の力を7~80くらいの出力で演奏するから、聴く方の想像力が刺激される。演奏する方が100以上でやろうとすると、聴く方が逆に疲れてしまう。
それでもとにかく満足。すごいものだと感心仕切りで帰ってきた。プロがアマチュアを指導することの意味、意義のようなものを今日も感じた。
わずかだが、そんな経験が私にもあった。高校生の頃、東京混声の田中信昭さんに振ってもらったことだ。今では90歳を超えるマエストロだが、当時は40歳代。変幻自在の指揮ぶりは、今でも忘れられない時間として私の中に残っている。プロと云うのは魔術師のようなものだと思った。
Nさんは横響だけでなく、つれあいが入っているコーラスグループで歌っている。そのうえにこんなすごいオケでも演奏しているとは、まったく底知れぬ人である。
風のホール
庭のこでまり