教育の自由を守るためには、戦前戦中のように教育を一定方向に無理やり導き、教員に国家の先兵たる役割を担わせるのではなく、それぞれの学問的な興味関心に基づいて法律の許す範囲において自由に研究と修養を積み重ねるというのが「戦後の教員像」だったということだ。


   台風の影響なのか、それほど気温は上がらないが湿度は高い。

 西日本はまたも19号、20号の影響をまともに受け、大変な状態にある。避難を続けている方々、新たに避難をした方々、そのしんどさを想像するにつけ無事早く自宅に戻られることを願う。


 21日、定年退職時に勤務していた職場の仲間が、年に一度、さしたる理由もなく集まって飲み食いする気の置けない会が、長津田至近の某居酒屋であった。

 もともとのきっかけは、若い世代との宴会は歌って踊ってと激しすぎるので、ロートル(老頭児)はロートルでゆっくり話したいねというものだったのだが、最近はその頃若かった現役世代もまじっておしゃべりを楽しんでいる。

 元管理職や現管理職もいるが、常識的な儀礼のみでとりわけて下にも置かないような扱いはしない。中心は60代半ばの介護保険証が交付され始めた世代だ。

 ”旧交を温める”という言い方がぴったりする会である。


 今年も徳島の高校に勤務するKさんが、若い世代の一人として出席。

 現地の研修会を抜け出して飛行機で鳴門海峡の上空を飛び、羽田に降り立って新横浜までの高速バスとJR横浜線を乗り継いで、ほぼ定刻に間に合うというはなれわざで到着。

 当夜は拙宅に宿泊。明日の夜の飛行機で徳島に戻るというので、22日は午前中から「ららぽーと横浜」までつれあいと3人で出かけた。話題の映画『カメラを止めるな!』をみようというのである。


 そろそろ40歳になるKさん、出かける前にこの映画について聞くと、知らないという。何の脈絡もないが、じゃあ『チコちゃんに叱られる』は知ってる?と、尋ねてみると、これも知らないという。すかさず「ボーっと生きてんじゃねえよ!」とかまし、録画してある「チコちゃん」を一緒にみた。


 毎日必死に仕事をしている人と、それこそボーっどころかポーっと生きている“シルバー”とでは情報量に差が出るのは仕方がないこと。

 聞けば夏季休業期間中とはいえ、毎朝定時に出勤、日がな一日、部活の指導をしながら進学する生徒のための補習につきあい、推薦書や調査書などの進路関係の書類づくりに忙殺されるという勤務、課業中と違うのは授業がないことだが、かえって忙しいかと感じることもあるとのこと。高校ってもっとユルくない?というのは思い込みらしい。少なくとも徳島では。


 ちょっと横道にそれるが余談を少し。
 

 一般にはあまり知られていないが、教育公務員特例法という法律がある。幼稚園教諭から大学の先生に至るまで国公立の教員に適用される法律である。

 この法律には「研修」について定めている個所がある。

 いつも誤解を受けるのだが、一般の企業の研修と教育公務員の研修はかなり意味が違う。一般企業の方に「教員は勤務時間内に研修を受けているのか」と、ズルをしているかのように言われたことがあるが、教員の研修は、戦中の国家による教育の反省を受けて、憲法上の「教育の自由」を保障するものとして規定されているもの。仕事のスキルアップのために個人的に取り組む企業人の研修とは意味合いが少し違う。歴史的な経緯がそこにはあるのだ。


第4章 研修
(研修)
第 21条 教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない。
2 教育公務員の任命権者は、教育公務員の研修について、それに要する施設、研修を奨励するための方途その他研修に関する計画を樹立し、その実施に努めなければならない。
(研修の機会)
第 22条 教育公務員には、研修を受ける機会が与えられなければならない。
2 教員は、授業に支障のない限り、本属長の承認を受けて、勤務場所を離れて研修を行うことができる。
3 教育公務員は、任命権者の定めるところにより、現職のままで、長期にわたる研修を受けることができる。


法律はまず、教育公務員に対し「研究と修養」つまり研修の義務を課している。つまり教員となった以上「ボーっと生きていく」ことを禁じ、日々研修にいそしむことを命じているのである。そのために教育行政は、研修のために施設や研修計画を準備、実施しなければならないのだが、これが現在のように教育行政にとって都合の良い中身ばかりになってしまうことを本来、憲法教育基本法は禁じていると考えられる。

 だから22条の1として教員には「やらせればいい」のではなく、「研修を受ける機会が与えられなければならない」とあえて記しているのである。

 また授業に支障がない限りにおいて「勤務場所を離れて研修」することができるとして、任地を離れて、つまり学校に拘束されずに研修ができるとしている。中身も場所も自主的に選択できるというきわめて先進的な位置づけが、日本の教員の研修にはなされているのである。


 教育の自由を守るためには、戦前戦中のように教育を一定方向に無理やり導き、教員に国家の先兵たる役割を担わせるのではなく、それぞれの学問的な興味・関心に基づいて法律の許す範囲において自由に研究と修養を積み重ねるというのが「戦後の教員像」だったということだ。


 一番わかりやすいのは、大学の先生が授業以外は時間に縛られることなく出退勤できる形態である。最近では大学の教員も多忙化にさらされているが、それでも「教育公務員特例法下の研修の実態」としては一番法律に近いものである。


 これが法的には幼稚園教諭から小中高教諭にまで原則適用されなければならいのだが、現実には全くそうはなっていない。

 それどころか日常的な超過勤務に押しつぶされそうになっているのが実態であり、夏休みでさえKさんのような状態である。「授業に支障がない場合」の最たる期間が夏休みであるにもかかわらずだ(“授業に支障がある”というケースの解釈もそれは“授業がある”と同等ではなく、代替措置等がとれる場合は“”支障がない“と判断するのが、かつては”常識“であったが、今では議論さえされない)。


 超過勤務手当も支給されず、青天井の超過勤務を甘受しながら経験のない部活動の指導に駆り出され、数年(日?月?)で教員をやめていく若者が多い。勤務のあまりの余裕のなさに、精神的に病んでやめていく教員も多い。

 教員という仕事に希望をもって就いても、容赦ない現実にはねかえされるか、矛盾を矛盾としてそのまま抱え込み、カラダもアタマも超多忙状態に麻痺させていくか。いや両極端に陥らず、バランスをとりながら自分なりに仕事をしていこうとするのは並大抵の精神力ではできないことだ。

 クイズに正解すれば有給を取ってもいいと社員にメールを出した飲料会社の管理職の問題が取りざたされているが、この会社では若い社員は「有休はとれないもの」と思い込んでいたという。悲しい話である。

 有給(年次休暇)が管理職や社長、校長が付与するものと勘違いし、「年休いただきます」という言い方を若者に教えていた教員がいた。

 有給は誰のものでもなく、法律が労働者に付与した権利であることは中学までの社会科の学習で学んでいる。にも拘らず「いただきます」なんてご飯を食べるように言ってしまうところが、この国の「労働現場」の由々しき実態だ(有給(年休)は「取ります、取得します」が正しい言い方だ。周りへの気遣いは大事だが、互いに互いの足をつかんで離さないような状況が現場に蔓延しているように思う)。

 話を元に戻そう。私はKさんに好きな映画をどんどん見てほしいし、自分のテーマである天文学についてももっと積極的に時間を割いてほしいと思う。しかし、そのためにはそんな発想などとっくになくしてしまった教育行政と校長ら管理職とぶつからざるを得ない。そのしんどさと労力を考えると二の足を踏むのはよく理解できるのだが、それでも「もっと自由を」を求める気持ちも必要ではないのかなと思う。

 

 法律など原理原則だけで闘うことにリアリティをもたせることは簡単なことではないけれど、一方原理原則がなければ始まらない議論もあるのだということも、考えてほしいなと思った。

 

 Kさんの乗る徳島便は、台風の影響で到着便が遅延し、45分遅れて羽田を飛びった。

 

カメラを止めるな!」の話はまた後日。

 

 

 門井慶喜銀河鉄道の父』(2017年下半期の直木賞受賞作)がとっても面白かったので、最近思い立って『東京帝大叡古教授』『家康、江戸を建てる』『屋根をかける人』を図書館から借りて読んだ。どれも面白かったが、『家康』が格別に秀逸。

 

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