愛媛県と山形県が、障害者の法定雇用率の集計に間違いがあったと発表した。中央省庁だけではなかったということだ。気になるのは教育委員会だ。
長い間、少数労働組合の役員として教育行政の役人と向き合ってきたが、彼らには、焦点化した問題については異様に熱心に取り組むが、いったん熱が冷めるとそこまで?というぐらい無関心になるという傾向がある。
現場を縛るような重要な問題でも、担当が代われば関心も持続せず、ほったらかしにされてしまう。もちろんその無関心への変容のおおもとは、行政トップの無関心であり、議員の無関心なのだが。
毒虫や怪物があちこちの自治体や教育委員会から出てこなければいいのだが。
2018年上半期にみた映画の寸評をまとめたのは、7月だったか。
“別途”としてあとで書くつもりだったものがあと5本。このままだと9月になってしまうので、ここらでまとめておく。まず3本。
『永遠のジャンゴ』(2017年・フランス・原題:Django・監督エチエンヌ・コマール・主演レダ・カティヴ)。
1943年、ナチスドイツ占領下のパリが舞台。ジャンゴ・ラインハルトは人気の絶頂にあった。ジャンゴのギターは、ロマ(ジプシー)の音楽とスイングジャズを融合させた独特のもの、今聴いても古さを感じさせない。
映画は、ユダヤ人だけでなくロマへの弾圧を強めるナチスに対し「ロマは戦争をしない」と反発し、音楽に没頭しようとするジャンゴを丁寧に描いている。
ジャンゴを演じるレダ・カティヴが、時代の空気をしっかり伝えてくれる表情と演技、さらに演奏がすばらしい。もちろん吹替なのだが、まったくそう感じさせない堂々たる超絶技巧の演奏ぶり。“演奏している人を演じる”のは、歌手にしてもピアニストにしても、もちろん指揮者でも簡単なことではないと思うのだが、この映画の演奏シーンは出色。演奏と演技に惹きこまれる。
日々のジャンゴの動きも独特で、悠揚迫らぬといった風情とともに、どこか悲しげで諦念を感じさせるところも印象的。表情やからだの動きが語っているものが確かにある。
ある時、ナチスの軍人らはジャンゴに演奏を迫る。リクエストは“退廃的なものでない音楽”。湖の近くの大きな館で開かれるパーティーのシーン。ジャンゴはしぶしぶ引き受けるが、はじめこそ「ちゃんとした」音楽を奏でるのだが、途中からいつものジャンゴの音楽に。するといつしかナチスの軍人たちは音楽に酔いしれ“退廃的に”なっていく。このシーンが素晴らしい。
それとジャンゴがロマの仲間と演奏するシーンもいい。国境を超えてスイスに逃れたあとに演奏される彼自身が作曲した大曲もいい。彼自身が指揮をしている。
そう、この映画、映画そのものの流れより、音楽シーンが素晴らしい映画なのだ。
20年ほど前に91歳で亡くなったヴァイオリンのステファン・グラッペリ。彼もまた超絶技巧のミュージシャン。1934年から1948年まで「フランス・ホット・クラブ五重奏団 (the Quintette du Hot Club de France)」でジャンゴの相方として演奏をしている。
私は20代のころからグラッペリのファンで、今でもよく聴く。
ふたりの間にこんな歴史があったことなど全く知らなかった。この時期のグラッペリとジャンゴの交友はどんなものだったのか。子どものころから道端で日銭を稼ぐためにヴァイオリンを演奏していたグラッペリと、ロマとして各地を移動しながら名声をつかんでいったジャンゴ、ふたりの間にはどんな紐帯があったのか、映画の中でグラッペリらしき人物は出てこなかったように思うのだが。
映画をみたあと、ジャンゴのCDを3枚買い求めた。
『ユダヤ人を救った動物園 アントニーナが愛した命』 (2016年・チェコ,イギリス,アメリカ・原題:THE ZOOKEEPER'S WIFE・127分・監督ニキ・カーロ)
実話をもとにしたという映画は、どこかでいつも“眉唾”でみようとしている。実話によりかかった偽物のような映画が多いからだ。
この映画、動物園経営者の妻、アントニーナを演じるジェシカ・チャスティンの演技が光っており、その分映画のポイントは何なのかよくわからないところがある。
タイトルからすれば、動物をいとおしむようにユダヤ人を命を懸けて助けた夫婦の話ということになるが、際立つのはヘックという“ヒトラー直属の動物学者”が、アントニーナに横恋慕して、アントニーナはユダヤ人らを救うためにヘックの気を引き、アントニーナの夫はそれに対し嫌悪感と不信感を抱く。どうもそのあたりが中心になっていて、動物園にユダヤ人をかくまったり、友人のユダヤ人を秘密の部屋にかくまうといったあたりが、ちょっと粗雑に感じられた。
実話にしては周辺部分がずい分と詳細だなという違和感あり。画面にはリアリティがあった。
否定と肯定』(2016年・英米合作・110分・原題:Denial・ 監督ミック・ジャクソン
)
これも実話に基づく作品。この事件は、Wikipediaで次のようにせつめいがなされている。
「アーヴィング対ペンギンブックス・リップシュタット事件(英:Irving v Penguin Books and Lipstadt)は、イギリス人歴史学者デイヴィッド・アーヴィングがアメリカ人歴史学者デボラ・E・リップシュタットと出版社ペンギンブックスを訴えたイギリスの裁判。アーヴィングは、リップシュタットが著書の中で彼をホロコースト否認論者と呼び中傷していると主張した。イギリス高等法院は、アーヴィングがわざと歴史的証拠を歪めたとするリップシュタットの主張が相当程度に真実(substantially true)であるとして、名誉毀損法(English defamation law)とホロコースト否認に関わるアーヴィングの主張は正当でないと判断した。」
イギリスの名誉棄損法は、被告に立証責任がある。つまり訴えたホロコースト否認論者のアーヴィングではなく、訴えられたアメリカ人歴史学者デボラ・E・リップシュタットと出版社ペンギンブックスに立証責任があるということだ。
デボラは当然のようにホロコーストの有無を正面から争おうとするが、弁護団はアーヴィングの差別者としてしての言動を著書の中から立証しようとする。この被告と弁護団のさまざまな葛藤と法廷場面がこの映画の見どころとなっている。
裁判としてはデボラ側が勝訴するのだが、途中、裁判所は、アーヴィング擁護に傾きかける。このあたり、はてどこに向かうのかと思っていたら、あまり展開はなかった。
老弁護士が冬の朝、アウシュヴィッツを訪れるシーンが出てくる。言葉少なだが、裁判技術だけでない老弁護士の思いを伝えようとした印象的なシーンだった。
当然と言えば当然の帰結なのだが、結局この映画もアメリカ、イスラエルの視点が前面に出されているように思えた。実話だから仕方がないが、これがもしドイツ人の歴史学者が主人公であったら、もっと複雑な物語になったのではないか。
来月に封切られる『ヒトラーとたたかった22日間』には、ユダヤ人解放にソ連軍が大きな役割を果たしたという描き方がなされているという。
アサド政権の後ろ盾になっているプーチンに対し、ネタニヤフはイランとの仲介を求めているという。シリア反政府軍を支持するトランプと紐帯の強いネタニヤフがプーチンに?トランプ政権は中東から手を引きつつあるともいわれ…。
映画も世界の政治と無縁ではないのは当然のことだ。反ナチズムだけで映画をみていると、見逃してしまうことも多い。もちろんホロコースト同様、ほんのちょっとした歴史記述の矛盾をつかんで南京大虐殺や関東大震災の朝鮮人虐殺はなかったとするやからへの批判は忘れてはならないが。