昨日の薄暮シネマは『蜜蜂と遠雷』、音楽映画の魅力はいろいろだけど、つくる側がつんのめっていてはいいものにはならないのだなと思った。

 昨日の”薄暮シネマ”は、

 蜜蜂と遠雷』(2019年10月公開/119分/日本/監督・脚本:石川慶/出演:松岡茉優松坂桃李)★★

キネマ旬報2019年ベストテンの中で第五位に、という記事を見てしまったのがいけなかった。

 

いつも無料のAmazonプライムを見ているのに、先日間違ってHD2500円を購入、とんだ出費と思っていたら、『恋人たち』はすばらしい映画で、ま、いっかということに。

 

お金がかかるからとあきらめていた映画も、レンタルならば一本500円程度。封切りから半年ぐらいの新作で、レンタル店にはまだ出ていないものも。

わざわざTSUTAYAに行かなくてもいいのだからと、きのうは『蜂と遠雷』を借りた。

 

音楽映画だから、いい音のする劇場でみたいねなどと言いながら見始めたのだが、始まって30分しないうちにげんなりしてしまった。

 

基本的に脚本がよくない。音楽シーンも思入れが強すぎて、ちょっと気持ち悪い。

 

原作は、去年7月に入院した時に上下巻を読んだ。後半少しかったるい感じはしたが、

映画をみる限り小説の方が数倍よい。

 

演奏シーンが多い。プロの演奏家が吹き替えをしているシーンは、それはそれでいい。実際に弾いている役者もいて、これは立派。

 

ただ、オケのフルートがつまらない芝居をしたり、動きが不自然だったり、撮り方も思い入れが強すぎてちょっとついていけない。

出演時間に遅れてステージの袖に現れる主人公が、さっきまで雨の中を走っていたのに、人を待たせておきながら慌てることなくゆったりと現れるところなど、とにかくどこもみな劇画タッチ、リアリティ無視。

 

音楽コンクールのリアリティを追求したのでないことはよくわかる。

 

群像としてのコンテスタントを描こうとしたのでもない。かといって、一人ひとりの掘り下げ方も浅く、伝わってこない。原作を読んでいない人にはよくわからないところが多いのでは。

 

幻想的なシーンに拘る思い込み先行の脚本、人間が全く描けていないと思った。映画の流れについていけなかった。

 

審査委員長の斉藤由貴も思わせぶりだけ。鹿賀丈史の指揮者の言動もなんだか。みな原作にはない脚本の安っぽさ。

 

せめて演奏シーンはステージを暗くしたりせずに、自然に演奏しているところを映してほしかった。

 

『セッション』(2014)は追いつめられた演奏がすさまじかったし、『永遠のジャンゴ』(2017)は物語にギターがはまっていた。『パガニーニ愛と狂気のヴァイオリニスト』(2014)だって、ただの超絶技巧だけではなかった。

 

音楽映画の魅力はいろいろだけど、つくる側がつんのめっていてはいいものにはならないのだなと思った。

 

よくないよくないと書いていると、気がめいってくる。

 

今日の薄暮シネマは、やっぱりレンタル。95年の橋口亮輔監督の『勝手にシンドバット』、浜崎あゆみが主演らしい。