2月8日(土)
卒業生5人との呑み会。
バスは18時16分発、と思い込んでいた。平日のバス時刻を見ていた。土曜であることにバス停に行ってから気づく。遅い。遅過ぎる。
そういうの、増えたよねとMさん。そうかもしれないが、認めたくない。それに同じことがずいぶん前からあったような気もする。老化ではなく注意欠陥の傾向か。
集合時間に間に合わないので、瀬谷駅までMさんに送ってもらう。
大学を出て最初の赴任地が旭区の鶴ヶ峰だった。1976年のことだ。
職場は駅から徒歩で急いで15分のところにあった。生徒数1800人のマンモス中学。
電車を降りるのが8時15分。小走りでいつもギリギリの到着。今はそういうのは喜ばれず、「指導」の対象なのだろうが、昔はそういう人が少なくなかった。
駅前にはタワマンが建った。駅ビルらしいものが出来て、賑わいもある。
1日の乗降客をネットで調べてみると、横浜、大和、海老名、二俣川に次いで相鉄線全線の中で5番目に多い。1日5万人以上が乗り降りする。一口で5万人というが、かなりの数だ。各駅と快速しか停らないのだが、大きなバスターミナルがあるため、結構な範囲で近在の人たちが乗り降りするのだろう。
商店街を歩く。知らない店ばかりだ。かつてあった店はほぼ残っていない。しょっちゅう立ち寄ったかかしマークの山田うどんはない。先輩のTさんが指導要録を置き忘れた銭湯もなくなっている。ツケで本が買えた本屋もとうになくなった。たしかアカデミーという名前だった。
お店の前で待っている中年男性2人。卒業生のK君とT君。まだ時間前だからと。寒いから入ろうと一緒に店内へ。
程なく6人が揃う。
コロナがあったせいで、こうして飲むのは5年か6年ぶり。
いつの間にか皆、いい年になった。
1964年と65年生まれ。早生まれの2人は私とひとまわり違う。巳年だ。
年の差は変わることはないが、15歳と26歳と60歳と71歳ではかなり違う。
彼らからすれば心外かも知れないが、もうあまり変わらなくなってきたということだ。
見た目も私だけが老けこんでいるわけでもなく、私よりはるかに貫禄のある人や、私より頭髪の面で先をいっている人もいる。
なんだか不思議な感じがする。
2時間半、話はあっちに飛びこっちに飛びして、時間はあっという間に過ぎる。
親の介護や子どもの結婚、医者通いの薬の話題。高齢者グループのあるふれた話。
昔の話も出る。
T君は家庭訪問の時に、部屋に入った私が、彼が隠していたエロ本のありかを的確に当てた話をよくする。今回、実はウイスキーの小瓶、サントリーホワイトのありかも私が当てていたという話をする。
エロ本は記憶にあるが、酒もだったか。
もちろん在宅だった母親には何も言わなかった。
そのお母さんが昨年10月に亡くなったという。4年前に亡くなったお父さんと同じ日に。
「命日がおんなじなんですよね」としみじみ亡くなる前にお母さんのことを話すT君。享年93歳。
当時、保護者のほとんどが昭和一桁生まれ。戦争とともに育った世代。
勢いだけで、非常識でものも知らないただの小僧を「先生」として立ててくれたのがこの世代。今ならたぶん続かずやめていたはずだ。
あの時は本当にびっくりしたとT 君は笑いながら話す。
なぁに体験的に中学生の習性をなぞったにすぎない。同じ道を通ってきたということだ。
そういえば、授業中こんなこともあった。同じクラスのY君という生徒の動きが何やら怪しかったので、「右のポケットにタバコが入っているだろ?」と当てずっぽで言ってみたら、びっくりした顔で「なんでわかるの?」。
教員というより、ちょっと年上のあんちゃんのようなものだった。
今回、女性はSさん1人。「少し早いけど」と言いながらみんなにバレンタインのチョコをプレゼントしてくれる。安定感抜群でいつもまとめ役を買って出てくれる。クラスのLINEが続いているのも彼女に寄るところが大きい。
19時半に始まった宴も22時で散会。
それぞれ皆別の方向に散っていく。
電車の中でLINEが届く。写真とともに「またやろう」。
22時半。バスはもうない。タクシー乗り場には誰もいない。冷える。5分ほど待って1台やってくる。ミニバンではない。古いセダンだ。
いつからかミニバンがくるのを心待ちにしている。乗るのも降りるのも楽。
このへんが彼らとの違いかもしれない。
