シアターコクーン『泥人魚』生き生きと舞台中を動き語る役者らがつくりだす周密で濃厚な空気感は十分に伝わってきた。が、やはり「ハコ」が大きすぎる。芝居をからだごと受け止められるのは1階席の10列ぐらいまでではないのだろうか。

12月28日、渋谷へ。

通過したことはあるが、渋谷に降りたのは2年ぶりくらいか。

スクランブル交差点を渡らずに地下を通って文化村通りへ。

人通り多し。こんな人込みは久しぶり。

シアターコクーンで『泥人魚』を見る。「泥人魚」

作:唐十郎

演出:金守珍

出演:宮沢りえ  磯村勇斗  愛希れいか  岡田義徳 大鶴美仁音  渡会久美子    広島光  島本和人 八代定治 宮原奨伍  板倉武志  奈良原大泰  キンタカオ    趙博 石井愃一  金守珍  六平直政  風間杜夫

あらすじ

<あらすじ>
港の町を去り、都会の片隅にあるブリキ店で暮らしている蛍一(磯村勇斗)。店主の静雄(風間杜夫)は、夜になると急にダンディになるまだらボケの詩人だ。
ある日、詩人の元門下生であり、蛍一とともに長崎の諫早漁港で働いていたしらない二郎(岡田義徳)が店を訪れる。
蛍一が町を出たのは、干拓事業に対する賛否で町が揺れる中、湾を分断する「ギロチン堤防」によって調整池の水が腐って不漁続きになり、埋め立てに反対していた漁師たちが次々に土建屋へ鞍替えしたことに絶望したからだった。一方二郎は、月の裏側を熟知していると語る月影小夜子(愛希れいか)により、港に派遣された「さぐり屋」だった。
二郎の裏切りを詰る蛍一のもとに、やすみ(宮沢りえ)が訪れる。幼い頃、漁師のガンさんに助けられた彼女は、「ヒトか魚か分からぬ子」と呼ばれていた。そして、何をしに来たか尋ねる蛍一に「人の海の貯水池で、言った通りの人魚になれ」という約束を果たしに来たと語り、脚に張り付いたきらめくものを見せる――。
 
久しぶりの芝居。刺激が強かった。
プロジェクションマッピングで本物の水を組み合わせた淡彩と極彩色の入り混じった舞台美術が素晴らしかった。
冒頭の「ギロチン」シーンは度肝を抜かれた。
 
諫早湾の埋め立てに材を取っているが、天草四郎や人間魚雷回転、伊藤静雄島尾敏雄、さらには中原中也を思わせるセリフ運びは、現代版人魚姫。
唐十郎宮沢りえをあて書きしたという脚本は、奔放でイメージが、現代の汚れた海の中に際限なく広がっていく。
 
しかし、だ。
座席は2階席の前から2列目。S席ではあるが、さすがに遠い。舞台装置と舞台全体はよく見えるのだが。
遺憾ながらセリフが早くて聞き取りにくい。それと登場人物の設定が何層にもわたるため、事前に脚本を読んでいないので、とらえきれないところがあった。
目をつぶらないとセリフが入ってこない。
双眼鏡をのぞくとセリフが入ってくる。
何度かそんな繰り返し。なかなか芝居に入りこめない。
言葉そのものが広がりをもつ芝居だからこそ、この大きさならマイクが必要ではないか(そういうレビューが見当たらないのは私の耳が遠くなっているからか?)。
 
もちろんそれでも、生き生きと舞台中を動き語る役者らがつくりだす周密で濃厚な空気感は十分に伝わってきた。
 
が、やはり「ハコ」が大きすぎる。芝居をからだごと受け止められるのは1階席の10列ぐらいまでではないのだろうか。かつての紅テントのように。
 
宮沢りえ磯村勇斗六平直政風間杜夫、素晴らしかった。
我らが友人、趙博も存在感があった。宮沢りえを肩車したところが絵になっていた。