7月11日
Pクリニックの診察。I医師「手術前の体調としては万全」との太鼓判。
いつものようにO薬局で30分待たされたあとに珍しく一緒にデパートS屋へ。
Mさんが日傘を買ってくれるという。
デパートの傘売り場に足を踏み入れたのはいつ以来か。
男の日傘、けっこうな品揃い。折りたたみのほうが便利そうだが、たたまないのを選んだ。
ちゃんとした傘を持つのもずいぶん久しぶり。
玄関の下駄箱にはコンビニで買った傘がたたみもたたまないのも含めて6~7本入っている。ビニール傘も外に2本。
7月13日
これだけ曇天と雨が続くと、やはり鬱陶しい。瞼が半分しか開いていないような感覚。
2週間ぶりの映画。本厚木のkikiへ。10:00~『沈没家族』と12:33~『アナと世界の終わり』。
外はうす暗い。
気温20度。
長袖にシャツに何か羽織るものをとも思ったが、傘のほかに持ち物が増えるのも嫌なので、そのまま出かける。
ビニール傘をさして。小雨に微風。少し肌寒い。戻ろうか。いや戻ればバスの時間に間に合わない。
定刻3分前にバス停。まだ8時台であるのに加えて明け方からの雨、バスはなかなか来ない。
到着したのは25分後。
運転手が遅延を丁寧に謝ってくれる。あなたのせいじゃないよ、と声には出さないで。
政権はハンセン病の熊本地裁判決に対し、原告以外の家族も含めた補償をするそうだ。
だからといって判決を「認める」とは言わない。
「法的には問題はあるが原告の苦しみを考えれば異例の措置として補償を進める」
姑息極まりない「政治決着」。全く失礼な話だ。
「原告の苦しみ」はそのまま「選挙の前だから」に入れ替え可能の軽さ。
政治家にとっては選挙、官僚にとって人事が最大の関心事、彼らにとってこの二つを超えるものはない。
原告らの苦しみを「忖度」する感度があるのなら、辺野古にしても原発にしてももっとやりようがあるだろう。所詮はその場しのぎの思いつき。
しかし原告以外も含めた補償問題となれば、ことは簡単ではない。
いろいろ難癖をつけて被害の程度で認定に差をつけようとするだろう。忖度官僚の出番だ。
72年の復帰以前の沖縄のハンセン病患者の家族の問題もある。
家族らが分断されるようなことにならなければいいが。
電車の中で次女から、山本太郎の演説いいよね、とLINE。娘から選挙の話が出るのは珍しい。
「れいわ」はいただけないけど、長州の安倍に新選組はいいよねと返信。
れいわ新選組、候補者がみな徹底した「現場」なのがいい。
LGBTの東大教授、創価学会の内部反対派、元東京電力社員の蓮池さん、セブンイレブンの造反オーナーなどなど。評判の悪い比例区の「特定枠」に重度の障害者二人をいれて、100万票で一人、200万票で二人。山本太郎自身が当選するには300万票が必要だという。
次女が、新聞も取っていないしテレビを見る時間もないからYouTubeで見たという政見放送。私も見たが「現場」から娘のような人たちに届く言葉だと思う。
マスコミは党首レベルの報道はするが、政党にもなっていない集団のことはほとんど報道しない。はじめからデバイドが効いている。
「れいわ」がそんな不平等選挙に徒手空拳状態で闘いを挑んでいることは間違いない。つまらない選挙を面白くしてくれる存在、だと思う。
『沈没家族』(2018年・日本・93分・監督加納土・2019年4月)
監督の加納土が武蔵大学在学中につくった卒業制作のドキュメンタリーを劇場版として再編集した作品。
元NHKのプロデューサーで武蔵大学社会学部教授の永田浩三氏が手助けしている。
タイトルの「沈没家族」は、そのまま加納土の母親加納穂子が始めた共同保育「沈没ハウス」から来ているが、「テレビで「(選択的)夫婦別姓になったら日本も終わり」と言われるのを見て、「そんなことで日本が終わるんなら沈没しちゃったほうがいいじゃん」と、「沈没」を挑発的な意味として捉え、また「家族なんて一度崩壊してみてもいいんじゃないの」という考えから、沈没家族という名前が出てきたと言われている。」(Wikipediaから)そうだ。
母親加納穂子がシングルマザーとなったときに、1人で土を育てる困難を前にして、いろいろな人に育ててもらうことはできないかと考えて始めた共同保育、そこに関わった人たちに十数年ぶりに会い、土がインタビューをしていく。
一緒に住んでいる人や母子も含めて一時は30人ほどが関わった共同保育。一人ひとりの言葉が子育てとか保育といったところに全く焦点化せずに、土とのかかわった自分史を語っていてとっても魅力的で自然。定職をもたない、子どもの扱いなど全く未経験のような男性が多く関わっているのもいい。
土は映画をつくりながら、当時の彼らと出会うことによって「子ども時代」を追体験し、親子とか家族という狭い概念を超えて生かされてきたことに気がついていっていると思う。
一緒に住んでいた女の子に会うシーンもいい。友達でもない、きょうだいでもない子どもが一緒に住んでいた記憶を二人がどう語るか。ふたりの言葉が新鮮で優しい。
父親にも会いに行く。酒を呑みながらインタビューする土。どう思っているのかとかなりしつこく訊く土に父親はイラつく。どこかで土との「血」を強く意識していながら、共同保育の人たちから受けた疎外感が顔を出す。
それに比べて共同保育を経て土と八丈島に住んだ穂子さんが、島の障害者や老人とともに生きようとしている姿は対照的。2頭のヤギが自然な演技をしている。
今週、幼児二人の置き去り死を描いた山田詠美の『つみびと』(2019年・山田詠美・中央公論新社)を読んだ。
筆力が高い分一気に読まされた感はあるが、後半、登場人物が類型化していくようでやや興味をそがれた。
家族が一つのテーマなのだが、想像力を掻き立てられる事件ではあっても、穴ぼこを掘り続けるようなところがあって救いがないと思った。『つみびと』と『沈没家族』、対極にあるようなないような。
村田紗耶香の『地球星人』を間に置いたら? ちっともまとまらないけれど、希望や絶望を安易に語らないことも大事かなと思った。
ちなみにこの穂子さんのお母さん、土君の祖母は、3月に亡くなった加納実紀代さん(1940~2019)。
70年代から90年代にかけて女性の戦争責任を考える「女たちの現在(いま)を問う会」の中心メンバーとして『銃後史ノート』を刊行した方。
80年代に何度かお招きしてお話をお聞きした。切れ味鋭い分析と穏やかな語り口に当時私は一ファンを自認していた。映画には祖母としての実紀代さんは全く登場しない。
『アナと世界の終わり』(2017年・米・英合作・98分・原題:Anna and the Apocalypse・監督ジョン・マクフェール・出演エラ・ハント・マルコム・カミングス・日本公開2019年5月31日)
「お父さん、ディズニー映画見るの?」と娘に云われたが、これ、ディズニー映画ではない。云ってみれば青春映画? ミュージカル仕立てのゾンビ映画でもある。
やや予告編に引きずられた感がないわけではない。よくわからないシーンもいくつかあったが、演技と歌と踊りで最後までしっかり楽しめた。こういう映画をつくろうという発想がかなりすごいと思う。
家族も友達もみなゾンビにやられながら闘い続け脱出する若者3人の行く先にも希望はほとんど見えない。それでも彼らは踊り歌う。
原題は直訳すれば『アナと黙示録』。
しっかりと大人の冷静な視点のある青春映画。
一つ難を云えば、歌と映像が別録りがありありで、一体感がないのが残念。