トランプ大統領と安倍首相は、なぜ広島と長崎に出向かないのか。 横網町の東京慰霊堂は国技館のすぐそばだ。東京大空襲戦災資料センターだってまったく遠くない。

5月27日、朝から真夏のような太陽が照っている。境川河畔をらいと歩くが、Tシャツを射抜くような日差しの強さ。

 

たっぷりと体毛のあるらいは、舌を出しながらもけなげに歩く。それでもやはり暑いのか、いつものコースの途中で「折り返し」を意思表示。反転したとたんピッチが上がる。率直かつ正直なことである。

 

 

大相撲、朝乃山優勝である。

 

千秋楽はトランプ大統領が観戦するとかで升席に椅子が置かれ、土俵に上がってアメリカ大統領盃を渡したのだとか。来日を喧伝し、安倍首相との親密さをアピールする。使えるものは何でも使う安倍流のやりかたである。

 

「そんなことは私たちは望んでいません」(「已ません」ではない)

 

ばかばかしいのひとことだ。いつこんなにトランプ大統領のファンが増えたのか。

日中だけでなく日米貿易問題をかき回すだけでなく、あちこちで世界の不安定さを煽るような人なのに。

 

ゴルフや相撲に興じる前に、アメリカ大統領としてまず行くべき場所があるのではないか。

広島や長崎になぜ出向かないのか。

国技館からさほど遠くない横網町の東京慰霊堂になぜ出向かないのか。東京大空襲戦災資料センターもまったく遠くない。

 

国を代表する政治家には歴史をきちんと見据える姿勢が求められる。政治家としての高い見識のことだ。

 

チェコでの演説からノーベル賞を受賞したオバマ大統領のヒロシマ訪問は、そのスピーチのあいまいさに不満は残ったものの、足を踏み入れたという点で政治家の一定の見識が感じられた。

トランプ大統領と安倍首相のふたりにはそれが欠けている。哲学とか思想のようなものがなく、基本的に軽薄なのである。


一方、受け手側の人々はどうか。

トランプ氏が表彰状を読み上げた際、わずかに「レイワ」という音が聴こえた。一瞬場内がざわめいたという。聴き取りにくい英語の中で出た「レイワ」に感激したとのことだ。国技館にいた人たちがとりわけてトランプ氏に好感を持ったわけではないだろう。

 

元号をまるで我がもののように感じる人々が増えている。

 

今朝の東京新聞に長野・松本市山根二郎さんの「元号違憲訴訟」の記事があった。弁護士であること以上に、軍国少年であったことへのこだわりと提起である。

時間は誰のものだ?という問いを忘れてはならない。

 

さて、大相撲。13日目の朝乃山―栃ノ心の一番に触れておかねばならない。

 

張本勲さん流で言えば、「喝!」だろう。どこから見ても栃ノ心の勝ち。

 

関取は土俵を熟知している。俵が触る足先のセンサーが極めて敏感。出た、出ていないはいくら相撲が早くても分かるようだ。出ていないと確信していた栃ノ心、物言いの結果は信じられない思いだったろう。

 

審判長の阿武松親方は土俵上で6分も議論をした上で、一番近くで見ていた放駒親方の「出ていた」を採用したというが、それはおかしい。

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この後の瞬間が問題となった

一番近くで見ていたのは行司の木村玉治郎でなかったか。

ビデオを見ると玉治郎が体をかがめて栃ノ心の土俵際、足元を凝視しているのがよくわかる。玉治郎も栃ノ心の勝ちを確信したのである。

阿武松親方の判断に強く落胆したのは栃ノ心だけではない。

 

私はもう何年も玉治郎のファンである。横綱格の行事であったかつての式守伊之助(若手行事に対するわいせつ事件で更迭。現在は相撲博物館の職員だとか)よりもはるかに風格があり、軍配も正確。仕切りにも厳しい。

何より仕切りの最後に、軍配を返して両者の息を合わせようとして両腕を大きく広げる姿がとにかくかっこいいのである。

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栃ノ心は次の日、14日目に鶴竜に勝ち、大関復帰を決めることができた。

しかし、さし違いとされた玉治郎には挽回の機会がない。気の毒である。


2019年夏場所、相撲まで利用して人気をとろうとする二人の首脳と世紀の大誤審、この二つが語り草になる。

 

 


昨日、小田急線向ケ丘遊園徒歩5分の多摩市民館大ホールに、高津市民オーケストラ第24回定期演奏会~夢の共演 至福の午後~を聴きに行く。友人のNさんからチケットをいただいた。

 

先月のフィルハーモニア・アンサンブル東京同様、ここも指揮はプロの方が振る。このパターンが確実にアマチュアオケの演奏レベルを押し上げていると思う。

合唱にしてもオケにしても、自分たちの音に酔いしれずに客観性が保たれるようだ。優れた指揮者は、具体的な到達目標を提示できるし、そこに至るまでの鍛錬の方法論をもっている。そうなると聴衆のほうも、お付き合いや義理での鑑賞ではなく、音楽自体を楽しむことができる。


今回は指揮吉田行地さん。初めてお見受けする。


ホフマイスターヴィオラ協奏曲ニ長調
ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロ短調
       休憩
ドヴォルザーク 交響曲7番 ニ短調

といういずれも大変な大曲を躍動感みなぎるタクトさばきで、最後まで緊張感を失うことなく振り切った。日本には優れた指揮者、若い指揮者がまだまだたくさんいるようだ。そんな人たちに活動の場を提供するという意味でも、アマチュアの団体の音楽活動は貴重なのだなと思う。

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今回は、そこにさらに花を添える「夢の共演」が実現した。

 

ウイーン生まれのヴィオラ奏者マグダレーナ・エーバーさんとプラハ生まれのチェリスト、ヤン・リスカさんの出演。各地で行うコンサートのひとつとして今回共演が実現したとのこと。

 


私のような素人でもこの企画のすごさはわかる。

オケと指揮者は本番まで定期的に練習を重ねるが、二人のソリストとの練習はたぶん当日午前中のゲネプロ1回のみ。指揮者の曲の解釈が演奏の基本であっても、ソリストにはソリストのこだわりがある。それが2曲である。

 

プロには素人にはわからない「文法」があるようだ。鍛錬しているとはいえオケはアマチュアである。大学野球に大リーガーのピッチャーが入ってゲームをするようなもの。私たちには計り知れない苦労があったのではないか。

 


ホフマイスターのコンチェルトは、時間的には15分ほどのものだが、ドヴォルザークのコンチェルトは壮大な超のつく大曲、よく知られた曲。さらにそこにもうひとつ、これもまた超大曲交響曲7番もやるというのだから欲張りというかなんというか。

オケはもちろん、すべて取り仕切る指揮者の吉田行地さんも、これ以上ないほどのやりがいのあるコンサート企画ではなかったかと思う。

 


 マグダレーナ・エーバーさんは、ウイーン市立オペラ座オーケストラの首席奏者をつとめながらソリストとして活動されているとか。オケでの活動が中心になるのはヴィオラという楽器の特質上、仕方のないこと。室内楽にも意欲的に取り組んでいるとのことだ。

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ヤン・リスカさんは、ほとんどのコンクールで第一位の成績をおさめる人気のチェリストとのこと。演奏旅行や録音で世界中を飛び回っているそうだ。はたしてどんな音が聴けるのか、定員906名の会場はほぼ満員である。

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ホフマイスターヴィオラ協奏曲ニ長調
ホフマイスターという作曲家、これも初めて耳にする。18世から19世紀にかけて活躍した作曲家でモーツアルトやベートヴェンと同時代にウイーンで活躍したとプログラムにある。

 

当時は大変に人気があって、多様で多数の曲を作曲、モーツアルトなど経済的に苦しんだ作曲家への援助も惜しまなかったとか。ただ、作品のほとんどが散逸してしまっていて、残存しているものも何人もの校訂者によって手を入れられた結果、原型がどのようなものであったかわからない曲が多いとのこと。

 


この曲は、長年にわたってオーディションやコンクールの課題曲として選ばれるものであったことから、ヴィオラ協奏曲のスタンダードとなっているとのこと。プログラムの引き写しである。

 


指揮者とともに登場したエーバーさん。すらっとした背の高い女性。ヴァイオリンより少し大きいヴィオラがしっくりくる。


ヴィオラを単独で聴く機会はほとんどない。せいぜいが弦楽四重奏のときに聴こえるくらい。

 

出だしから惹きつけられた。馥郁としたというのも変だが、アルトの音域の女声の豊かなたっぷりとした音に似て、匂やかというほどの気品がある。

すごいものだなあと思う。音はヴァイオリンともチェロとも違う、人間の声に近い感じ。

 

この曲はモーツアルトに雰囲気は似ているが、モーツアルトほど疾走感はなく、どちらかというと優雅、典雅な感じ。基本的なソナタ形式で、3楽章に向かって盛り上がっていく。それにしてもエーバーさんのヴィオラ自在なのはもちろんだが、オーケストラの演奏に驚いた。ソリストに対して見劣りならぬ聴き劣りが全くしない。これはすごい。市民オケの定演どころの話じゃない。

 


それは、②ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロ短調で、さらに顕著となる。

人気のチェリスト、長身のヤン・リスカさんのチェロはとにかくよく鳴る。それもかなり繊細な音。低音を思い切り響かせるというのとは違う。そのうえ、なんともスケールの大きいロマンチックな歌い方。

 

次の7番や9番の「新世界から」を思い起こさせるような曲想、悠久の大河を思わせような。ドヴォルザークと同じチェコ出身のヤン・リスカさんと、極東の国の高津市民オケが幾重にも融け合い、重なり合い、素晴らしい音の空間をつくりだした。となりでいっしょに聴いていたNさん、4楽章がおわったとたん、「ブラヴォー」と叫んでいた。

 

こうなると、③ ドヴォルザーク 交響曲7番 ニ短調 がどうだったかは推して知るべし。

前2曲の疲れなど全く感じさせず、40分近くになる大曲を最後の最後まで、怒涛のように走り抜けた。とは言え、3楽章の舞曲風のスケルツオ・ヴィヴァーチェなどこじゃれていて、いい演奏だった。吉田行地さんの指揮もとっても良かった。

 

そしてなにより驚き、素敵だなと感心したのは、ヴィオラとチェロパートにエーバーさんとヤン・リスカさんのふたりが入って演奏していたことだ。

こういうフランクさ、自由さ、日本のアマチュアのオケに混じってウイーンで活躍する二人のプロのソリストが弾く。いいものだなあと思う。演奏が終わって、感極まって二人に握手を求めるオケの人たちの喜びを、私も少しだけ共有できたような気がした。


ロビーで販売されていた、5月30日に鶴見のサルビアホールで開かれるストラトス四重奏団のコンサート、もちろんお二人も登場する、のチケットを購入した。楽しみである。

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