身知らずとは、美味すぎて身の程を忘れるほどに食べてしまう、という意味だと聞いたことがある。 お店で柿は出ないが、ついつい地酒を呑みすぎることはあった。

気がつけば一週間が経っている。気を失っているわけではないのだが、あれよあれよと時間が自分の意識を追い越していっているようだ。

 

久しぶりの帰省。かなり冷え込むというので二人ともダウンを羽織って出かけた。

 

会津若松の駅から乗ったタクシーの運転手は、昨日は-1度、山の方はみな白くなった、と。

 

レンタカーで会津坂下町の親戚周り。そのまえに「民そばや」で新そばを味わう。会津のそばは駅そば以外は、街の食堂のようなお店でもほとんどが十割そば。この時季になると2階の座敷で「そば会」という宴会がよく行われるのだそうだ。

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2人でおおもりとなつかしいラーメンを分け合って食べた。うまかった。

 

3軒の親戚は、従兄夫婦の家だったり、寡婦となった従兄の奥さんの家だったり、はたまた93歳になる大叔母の娘(私の父親といとこ同士・・・私から見れば従叔母または従兄叔母・・・いとこおば)のところだったり。

 

みな、同じだけの加齢は免れない。ただ93歳の従叔母は、一日2食、デイサービスにはいかず、いまだに「本を読むのが仕事」と言う。こたつの上には佐藤愛子の『九十歳。何がめでたい』があった。

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冬枯れの林や、稲が刈り取られた田んぼのわきなどに柿の実のオレンジがきわだつ。どれもこれも鈴なりで、実もすでに大きい。

いつ収穫するのだろうか。

雪でも降れば収穫の時期を逸してしまうのではないかと心配になるほど、みな堂々と実っている。

会津の柿は「身知らず柿」といわれる渋柿。焼酎をかけて出荷する。2週間ほどで甘くなる。もともとの甘柿とは違った甘さ。

大好きというほどではないが、年に一度ぐらいは食べて見たくなる。

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そういえば新橋に「身知らず」という小体(こてい)な呑み屋がある。もう3年ほども行っていない。

店に入ると、そこは会津

酒もつまみも、言葉も、もちろん店主も客もみな会津

東京の片隅に福島ではない会津ナショナリズムがはち切れる。

あまりの濃さに食傷気味になるほどだ。

 

身知らずとは、美味すぎて身の程を忘れるほどに食べてしまう、という意味だと聞いたことがある。

お店で柿は出ないが、ついつい地酒を呑みすぎることはあった。

f:id:keisuke42001:20191127164035j:plain「身知らず」のこづゆ

 

次の日、磐越西線で喜多方。沿線にも柿の木が目立つ。

Mさんの従兄のMiさんが亡くなったのは、今年の2月14日。一周忌というには少し時期が早い。雪が来る前にということらしい。

法要は町中の斎場で住職の読経を聞いたあと、片道20分ほどの集落のお墓に参る。

また20分をかけて斎場に戻り、会食。


わたしたちが乗る新宿バスタへむかうバスの出発時刻は14時30分。慌ただしく会場をあとにする。

 

羽生で事故渋滞。予定より45分の遅れ。新宿からはやや遠まわりの小田急線に乗ったが

ダウンコートはいかにも場違いなふうの温かさ。

中央林間では雨。

 

5分ほど待ってようやくやってきたタクシーの運転手さんは登山が趣味だとか。グランベリーパークの新装なったモンベルに早く行ってみたいと山の話など明るく饒舌に。

 

旅のおわりにこういう方に会って、疲れが何割か間引かれたような気がした。