プレミアムドラマ『 怪談牡丹燈籠』
BSプレミアム 10月6日(日)~10月27日(日)午後10時00分~ (初回のみ30分拡大)
第1回拡大版をみた。とっても良い。脚本、演出、音楽、飽きが来なかった。高島政宏
はじめていいと思った。
読み飛ばし読書備忘録⑭
夏から同じ円朝の『真景累が渕』(初版1956年・岩波書店・900円+税)を少しずつ読んできた。
志ん朝の『豊志賀の死』が好きで、この10年ほど、何度も聴いてきた。
それで、暇に飽かせて原文を読んでみようと思ったからだ。
円朝の口演をもとに起こしてあるもの、たぶん。読んでいてずいぶんと違和感がある。言葉自体も分かりにくいものが多いし、敬語もよく分からない。男女の言葉遣いもはっきりとは把握できないし、難しい。
それに比べ、志ん朝の口演は、上下関係、男女関係などわかりやすく、緊張感がある。それに、こわい。
しかし円朝本を読んでいると、江戸末期の人たちはこんなふうに話していたのかと往時が偲ばれるし、それには独得のリアリティーがある。
ではそれで「こわかった」かというと、これがそれほどでもない。
登場人物たちは、志ん朝版ではキャラクターがはっきりしていて、ブレがないが、円朝本では、いずれもみなワルにはなりきれず、我欲と妄執にとらわれていて哀れな感じだ。
それと、江戸、北関東の風景がほど良くわかる。
最後まで読み切ったが、怪談の「ドロドロ」の感はあまり感じなかった。江戸末期のひとたちは、こんなふうに生きていたのかな、というのが漠然と分かったような。
同じころに、友人のMさんからお見舞いに『逝きし世の面影』(渡辺京二・平凡社ライブラリー・1900円+税)をいただいた。
円朝の時代よりもうすこしあとの、明治維新前後のこと。頻繁に訪れた異邦人たちが記録として残した当時の日本人の生きたさま、とりわけ一般の民衆、下層階級の人々の様子がこれでもかというくらい、すさまじい量の文献を渉猟して描かれている。
それは、私が知っている日本近代の「遅れた日本人」ではなく、西洋を前提としない、ある意味見事に自立した独自の文化をもった日本人であり、円朝の描いた江戸人にやや近いものを感じる。
よくもまあ、これだけの資料をと思うほどの実証。
東北を馬に乗って見聞したイギリス人の女性探検家・旅行家イザベラ・バードが、私が生まれ育った福島の辺境の町を訪れていたことも初めて知った。
毀誉褒貶、いずれかに偏らざるを得なかった当時の異邦人の記述を、渡辺はバランスよく切り分け、実相を明らかにしようとしている。私が歴史として学んできた拙い知識と懸隔のいかに大きいことか。
二冊を同時に読み進めてきたのだが、自分の中の既成概念がかき混ぜられる感じが強く、大変刺激になった。もっと早く読んでおきたかった。
『真景累が淵』は500頁近く。『逝きし世の面影』は600頁にも。どちらも字が小さく、ついていくのが精いっぱいの、思いっ切り読み飛ばしの読書だった。