沢村豊子の世界・・・1月4日 大倉山記念館

2020年の始まり。

昨夜は、わずかに降雪があったようだ。

外の気温4℃。東京は0.6℃とか。

 

昨日、大倉山記念館、芸人三昧の新春特別公演『沢村豊子の世界』へ二人で出かける。

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駅までバスで行くつもりが、休日ダイヤ、本数が少ないので歩く。

グランベリーパークの入り口まで13分ほど。ケーズデンキの跡地の臨時駐車場はほぼ満車。随所で配られる「案内」を見ながら歩いている人が多い。

小さなスケートリンクも子どもたちでいっぱい。

 

大倉山記念館に13時10分着。いつもながら駅からの坂道はきつい。

 

待合室で自販機のコーヒーを飲みながら開場時間を待つ。

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公的な施設で待合室があるのは珍しい。もともとは大倉精神文化研究所。天井も高く、椅子も古くて雰囲気がある。窓からの眺めも良い。

 

芸人三昧の胴元、小野田さんが顔を出す。

「正月4日はやっぱりきびしい」

満席にはならないらしい。

 

今日の会場はホール。小さなものだが、これもまた雰囲気があるホール。

 

開始5分前に沢村豊子師匠が見える。三味線をもっていない。軽く会釈をするとニコッと笑って返してくれる。まとっている空気が違う。

いつも通り着物姿。紫の柄の小紋。きまっている。粋というのだろう。

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前半は、はかま姿のぱぎやんこと趙博さんとのトーク

 

話題は、浪曲今昔。ほとんど初めて聞く話ばかり。浪曲には関東節と上方節があることも知らなかった。高調子と低調子の違いだけでなく、節回しがそれぞれ独特のものがあるとのこと。

 

さすがに趙さんもそのあたりの事情に詳しい。上方漫才と浪曲の関りの話も。

打ち合わせなしのトークというが、飽きさせない。

 

12歳の時に、偶然のように舞台に立ち、

「東京へ来るかい」

と言われ、以来ずっと「とり」で三味線を弾き続けているとのこと。83歳になる今も「曲師」として、浪曲界ではまさにレジェンドの存在。

私も、浪曲のことなど何も知らないが、初めて聞いた時から豊子師匠のファンになって

しまった。

 

胴元の話によると、今日の公演を決めたあと、五木ひろしの公演のオファーがあったのだとか。

つい素人はギャラのことを考えてしまう。どれほどの違いか。

 

話は、4年前に急死した浪曲界の風雲児、国本武春さんのことに。

倒れる直前もいっしょだったとか。

彼のことを語れば語るほど、こみ上げてくるのを抑えられない様子。

 

豊子師匠の記憶力はすごい。人の名前も場所も詰まることがなく、次々と出てくる。

 

気がつけば50分を過ぎている。休憩をはさんで、豊子師匠今度は太棹三味線をもって登場。

 

これまた12月に一度合わせただけという『紺屋高尾』を趙さんがうなる。

 

芸人というのはすごいものだ。趙さんには、映画一本丸ごと歌と語りで表現する「歌うキネマ」という芸があるが、これはピンでやる芸。浪曲は違う。曲師の豊子師匠との掛け合い。互いに高め合う芸。

 

40分近い話をほとんど何の齟齬も感じさせず聞かせてしまう。時には久蔵になり、ときには高尾になり、ナーレーションもやり・・・。すごい芸だ。

聴き入ってしまった。

豊子師匠の三味線と合いの手は、これまた絶妙のタイミング。至福の時間。

 

あっという間におひらきに。

アンコールは、趙さんのテーマソング『橋』を明るく歌ってしめた。

 

開場の外へ出ると、日が落ちて肌寒い。でも、いいものを聴いたあとは、胸のあたりが温かい。来るときに息の上がった坂も少しなだらかに感じられた。