岩手に住む友人古川さんから久しぶりのメール。
「公開授業の案内をしたところ、若い女性記者の目に留まった様子で熱心な取材を受けておりました。期せずして大きな記事にしてもらうことができました。」
とのこと。現在64歳。再雇用の最終年だそうだ。
古川さんとは86年4月に横浜市神奈川区の浦島丘中に赴任したときに初めてお会いした。
一緒に仕事をしたのは1年だったか2年だったか。岩手県の採用試験に合格して田舎に戻ったのは88年ごろ。その後、お会いしたのは花巻で行われた結婚披露宴に招かれたとき。90年代の初め頃だった。
それ以来、互いに音信は途絶えがちではあったが、細々と続いてきた。
彼のこういう実践については知らなかったのだが、それほど遠いところにいたのではなかったのだなと思い成した音信だった。
この中に取り上げられている従軍画家の小早川秋聲の「國の楯」。こういう絵を題材としてるのが美術教員である古川さんのユニークさかもしれない。
私は全く知らなかったので、『画家たちの戦争責任 藤田嗣治の「アッツ島玉砕」を通して考える』(2019年 梨の木舎)の著者である北村小夜さんに記事を送ってみた。すると
「・・・小早川の”国の盾”が一般的に知られるようになったのは戦後20年以上も経ってからでした。私は少し前に知っていましたが、実際に見たのは”21年10月〜11月 東京ステーションギャラリーでした。以来、この絵を戦争を考える上で大切なものと考える人が増えました。/この次お目にかかったとき、そのことを一緒に考えられたらいいなあと思っています。その頃には古川さんの実践もさらに深く伺えるのではないかと期待しています。」との返信をいただいた。
知る人ぞ知る、というより、私が知らなかっただけなのかもしれない。
ステーションギャラリーでの紹介がyoutubeにあった。
MBS(毎日放送)ニュースでは、京都文化博物館での展覧会を紹介し、陸軍による「返却」も含めて取り上げている(2021年)。
書籍としては『旅する画家の鎮魂歌』(京都文化博物館2640円)が出ている。