6月のあれこれ⓶ 東北の旅その5「石と賢治のミュージアム」東北砕石工場あとを訪れる。

 五日目の朝。雨。

朝食をいただいたあと、おしゃべり。11時ごろ、Sさんのクルマで20分ほどのところにある「石と賢治のミュージアム」へ連れて行ってもらう。

宮沢賢治に関わるさまざまなモノは、記念館はじめほとんどが生家のある花巻にある。

 

文学者個人の展示や碑、記念館などが一番多いのが宮沢賢治だろうと言われる。

 

花巻を訪れたときは確かにそう思った。まあ街中が賢治というか。

昨日の盛岡も、歌碑や銅像など10いくつもある。

 

花巻から60キロほど離れた、ここ一ノ関市東山町にも、賢治の足跡が残されている。

東北砕石工場跡である。現在は産業近代化遺産として登録され、保存されている。

 

ミュージアムは、その工場跡と「太陽と風の家」「双思堂文庫」で形作られている。

 

よく知られた話だが、賢治は石灰岩を砕いて肥料を作ったこの工場の技師を務める。

経営者の鈴木東蔵と会うのが昭和4年、33歳の時。

34歳の時にここを初めて訪れている。その時の様子を再現したのが下のモニュメント。

後列、右から四人目が賢治。

技師と言っても、賢治はここで働いたわけではない。35歳の時に理論的なアドヴァイスをする技師に就任。炭酸石灰販売斡旋に専念。いわば営業担当だ。しかし、その7ヶ月後、出張先の東京で倒れる。

花巻に戻り、自宅療養に入るが、農民からの肥料設計の相談を横臥しながら受けたという。

自宅に戻って2年、亡くなる。

不思議な巡り合わせなのは、技師に就任するのも、出張先で倒れるのも、亡くなるのも皆9月21日であること。

 

賢治にとって「働い」たと言えるのは、技師就任から出張に精を出した約7ヶ月あまり。

国柱会にのめり込み、詩作に専念し、若者と芸術について語らう・・・37年の短い人生は迷いの連続。一貫して何かを成し遂げたということはなかった。

今に至るまで「宮沢賢治」として長く評価されるようになったのは没後のこと。

 

はじめに砕石工場を見学。現在は一関市所有。

この日は雨。私たち三人だけ。



埃っぽい中、いろいろな展示がなされている。賢治が作曲した「星めぐりの歌」の展示もある。

誰もいないので、声を出してうたってみる。

 

続いて「太陽と風の家」へ。

こちらは学芸員の方がついて説明をしてくださる。

東北の厳しい気候風土、農民の困窮、炭酸石灰開発にかけた夢、出張先のことなどが資料と共に。

鉱物展示室も面白かった。石っこけんさんの名のとおり、賢治は無類の石好き。

この展示室は目を惹かれるものばかり。

もう一つは双思堂文庫。鈴木東蔵の蔵書と、もう一人宮沢賢治研究者斎藤文一の蔵書が収められている。

斎藤文一は、大学の時に天沢退二郎原子朗などとともに読んだ記憶がある。

現在、評論家、翻訳家として活躍する斎藤美奈子・真理子きょうだいの父親である。

 

雨、やまず。お昼をどこかでと猊鼻渓を少し覗くが、観光船は動いているがお店はどこも閉まっている。

一ノ関駅まで直行。駅併設のレストランで遅いお昼。

 

一ノ関から仙台までやまびこ。仙台から東京駅までははやぶさ

乗り換えの仙台で弁当を買ったり、ビールを買ったり。

旅は静かに穏やかに終えていくはずだったが・・・。

 

東京駅で事件!

Mさん、チケット購入の際、財布を置き忘れる。

しかし数分後には届けられていて一安心。

この東京駅の雑踏でも財布が戻ってくる。

 

旅の最後の盛り上がり。

 

4泊5日の旅が終わった。