『あのこと』女性だけが望まぬ妊娠のゆくえをひきうけなければならない矛盾、と言ってしまえばそれだけなのだが、それだけでなどけっしてないことを、この映画は優れた映像として見事に表現している。

映画備忘録。

1月12日、久しぶりに新百合ヶ丘アルテリオ映像館。

ミニシアターでもネットでの事前予約が当たり前になってきているが、ここは整理券方式。朝9時からその日の整理券がもらえる。とは言っても、私のところからバス、電車、電車で1時間弱。いったん自宅に戻り・・・ということはできない。

混雑が予想される映画の場合は、早めに行って整理券をとる。

今回も話題作『あのこと』、せめて1時間前にと思って出かけた。

一番後ろの足もとの広い席と通路側を確保するには、20番までが必要。11時15分到着。

12時5分の『あのこと』は9番、14時25分の『あちらに住む鬼』は13番。後者の方が人気が高いようだ。

 

近くで食事をして戻る。ロビーにはけっこうな人数の人たち。

 

『あのこと』(2021年製作/100分/R15+/フランス/原題:L'evenement/原作:アニー・エルノー/監督:オドレイ・ディワン/出演:アナマリア・バルトロメイ ケイシー・モッテ・クライン ルアナ・バイラミ/日本公開:2022年12月2日) 

 

1960 年代、中絶が違法だったフランス。大学生のアンヌは予期せぬ妊娠をするが、学位と未来のために今は産めない。選択肢は 1 つー。アンヌの毎日は輝いていた。貧しい労働者階級に生まれたが、飛びぬけた知性と努力で大学に進学し、未来を約束する学位にも手が届こうとしていた。ところが、大切な試験を前に妊娠が発覚し、狼狽する。中絶は違法の 60 年代フランスで、アンヌはあらゆる解決策に挑むのだが──。(フィルマークス映画から)

 

正視できず、何度か目をつぶった。耳をふさぎたいところもあった。

「凄い」と書くのがフィットする映画だ。

あらすじは書いてある通り。予期せぬ妊娠をしったアンヌが中絶を求めてひたすらに奔走する。それもたった一人で。

舞台は60年代のフランス。当時のフランスでは妊娠中絶は違法であり、本人はもちろん、加担したものはみな処罰される(映画では刑務所に入ることになると表現されている)時代。

アメリカでは、今まさにそういう時代が来るかもしれないというこの時期に、この映画がつくられた意義は大きいと思う。アメリカでも公開されているはずだが。

 

アニー・エルノーの自伝的小説『事件』が下敷きになっている。小説の原題も映画と同じL'evenementだろう。英語ではevent。邦題は「事件」と訳されるところだが、「あのこと」というシンプルな邦題に。これはまさに適訳だと思う。『事件』では、野村芳太郎の名作『事件』と被ってしまう。

 

全編、全くゆるみがない。時間を忘れて映画の中に没入した。

手持ちカメラ中心の撮影だが、ダルデンヌ兄弟ほど動きは激しくない。何というのだろう、微妙に震えるようなカメラの揺らぎが、アンヌの不安を伝えてきて、見ているほうも不安になる。

複雑な物語はなく、アンヌの周囲の若者、胎児の父親も含めて、一人ひとりの感情の揺らぎがアンヌの視点から伝わってくる。

 

学生以外では、ドクターが2人。

2人とも中絶には一切手を貸さず、一人は中絶のための薬であるかのようにアンヌに処方する。しかしもう一人のドクターから、流産を防ぐ薬であることを知らされる。血が引くような表情のアンヌの落胆が、これまたストレートに伝わってくる。画像16

 

もう一人の大人は、違法に中絶を請け負っている女性。

「すべて試した」アンヌにとって、この違法な中絶を仕事としている女性が最後の頼みの綱だ。

この女性を演じている俳優の演技が印象的だ。彼女は犯罪であることを認めたうえで、冷徹に堕胎を行う。しかし、わずかに見える感情の揺れ。

アンヌに

「声を出せばすぐにその場で手術をやめる」冷たく言い放つ女性。

壮絶な痛みをこらえるアンヌを前にして観衆は身の置き所を失くす。

結局、ここでもアンヌの中絶は失敗する。

残された方法は・・・。

 

女性だけが望まぬ妊娠のゆくえをひきうけなければならない矛盾、と言ってしまえばそれだけなのだが、それだけでなどけっしてないことを、この映画は優れた映像として見事に表現している。

 

60年代の若者たちのセックスへの強い関心を、男女別なくしっかり描いている。当時の風俗もしっかり表現されていて、時代をさかのぼったというより、その時代に入り込んだような印象。これも丁寧、正確な時代考証と、独特の手持ちカメラによる表現によるものだろう。

途中、アンヌの生年月日が出てくるが、1940年生まれだ。今年83歳になる人たちと同世代。若者はいつだって若者。

 

もう一つ新鮮だったのは、アンヌは学位を取り教員を目指しており、指導教官も熱心にアンヌに対しているのだが、中絶をもとめて奔走しているアンヌは学業に力を入れようにもその余裕が全くもてない。指導教官はアンヌに学位取得がむずかしいことを告げる。落胆するアンヌ。

しかし、違法な方法で中絶が可能になったアンヌは、指導教官のもとに走り、講義録を貸してほしい、今からでも頑張りたいと告げる。

指導教官の「教師を目指すのか」という問いにアンヌは、

「作家になりたい」

ここがわたしにはもっともぐっと来たシーン。アンヌの精神的な変化、成長が感じられるところ。

しかし、アンヌは子どもでもある。

小さなレストランを営む両親。アンヌのために身を粉にして働く母親。

アンヌのどこか学業に身が入らない状態に対し、

「そんなんで試験に受かるのか」と問い詰めると、アンヌは

「受けたこともないくせに」

思わずアンヌの頬を叩く母親。

 

1960年代、日本でも同じようなシーンがたくさんあったのではないか。

 

アンヌを演じたアナマリア・バルトロメイがすばらしい。これほど感情のひだを微妙に表現できる俳優は稀有だと思う。オドレイ・ディワンの優れた演出によるところもおおきいのだろう。

昨年封切られた映画だが、いまのところ、今年のナンバー1である。