『千夜、一夜』、随所に入る効果音のような音楽が、帰ってこない人を待つ心の空洞を表しているようで印象的。

映画備忘録。

11月28日の2本目。

『千夜、一夜』(2022年製作/126分/G/日本/脚本:青木研次/監督:久保田直/出演:田中裕子 尾野真千子 安藤政信 白石加代子 ダンカンほか/公開2022年10月7日)

北の離島にある美しい港町。登美子は30年前に突然姿を消した夫の帰りを待ち続けている。漁師の春男は彼女に思いを寄せているが、彼女がその気持ちに応えることはない。そんな登美子の前に、2年前に失踪したという夫・洋司を捜す奈美が現れる。奈美は自分の中で折り合いをつけて前に進むため、洋司がいなくなった理由を求めていた。ある日、登美子は街中で偶然にも洋司の姿を見かける。(映画ドットコム)

 

田中裕子は、最近では『ひとよ』〈2019年〉と『おらおらでひとりいぐも』〈2020年〉を見たが、融通無碍の独特のたたずまいと存在感は相変わらず。特に後者が良かった。『ひとよ』は脚本が今一つだった。

田中は1955年生まれというから67歳、中年の女性を見事に演じた。

 

終始、田中裕子(登美子)のかすかな感情の動きを微妙に演じ分ける演技と、随所に入る効果音のような音楽が、帰ってこない人を待つ心の空洞を表しているようで印象的。全編、落ち着いた色調で丁寧につくられていると思った。すっと映画に入れた。

 

オリジナル脚本も成功している。登美子の母親が夫の義足を抱いている亡くなっているシーンも出色だが、葬式のシーンもいい。坊さんの読経が終わると三味線の音が聞こえ、佐渡おけさが唱和される。母親の遺言だということを知らされていなかった登美子は驚くのだが、見ている方としては佐渡の習わしとして、こういうことが行われてきたのかと思ってしまった。それほど、参列者が自然に歌う佐渡おけさが、越中おわら節のように独特の哀愁を帯びて聴こえた。

失踪した教師である夫の洋司の帰りを待つ看護師の奈美(尾野真千子)、登美子は偶然新潟の街で洋司を見つけ、佐渡に連れ帰り、奈美に引き合わす。すでに奈美は職場の同僚山中崇と関係ができているのを登美子は知っているのだが。

 

夫婦関係が元に戻ることなどできるはずもなく、奈美は半狂乱になって洋司を非難する。奈美は登美子が新しい関係を知っていて洋司を引き合わせたと厳しく非難する。

登美子は表情を崩さない。そしてどんなシーンでも笑みひとつ漏らさない。登美子の中にあるやさしさと悲しみと残酷さ。画像1

 

もう一つのドラマは春夫。小さい頃から登美子に惚れている春夫は、登美子の夫が失踪後、何度も登美子に求婚する。母親の千代も、職場の同僚や上司らも「考えてみれば」と春夫との結婚を登美子に勧める。

ここだけがどうも腑に落ちないところが多かった。春夫が登美子を求める気持ちもあまり伝わってこなかった。

というのも、春夫役のダンカン、脚本がダンカンを子供じみた考えの足りない男に描いていて、違和感があった。母親役の白石加代子のリアリティは十分だが。

一緒に暮らしてくれと迫る春夫に登美子は、おまえなんか海に入って死んでしまえと罵倒するのだが、春夫はその直後に船で海に出て帰ってこない。

自棄になって死んだんじゃないかと思っているところへひょこッと帰ってくる春夫。

登美子とのやり取りにリアリティがない。特に海に入るシーンは今一つ。

例によって走るシーンと海のシーンは、感情の爆発を描くが、リアリティを欠いて浮いてしまうことが多い。

 

小さい頃から一緒に育ってきた者同士の親近感と男女のよそよそしさ、老齢に差し掛かっている二人の諦念のようなものがもっと感じられる脚本だったらいいなと思った。

 

それでもこの脚本のいいところは、登美子の焦燥感を言葉ではなく、録音されたテープやわずかな思い出に託し、語らせているところ。奈美に追い出された洋司を泊めるシーンもいい。

長い時間の経過の中で「もう顔も思い出せなくなっている」という登美子の焦燥感が際立ってくる。

待っているというより、待つしかないという心情。それほどに時間の経過はむごい。

舞台が佐渡ということから、北朝鮮による拉致も想像させるが、脚本はそこにあまり踏み込まない。

ドラマチックに感じられたのは春夫との関係だけ。この部分がもっと違うものだったら、と見終わって思った。

 

画像21