『私のはなし 部落のはなし』差別問題をとらえようとする監督の姿勢に共感。差別論の深堀を期待する。

『私のはなし 部落のはなし』(2022年製作/205分/G/日本/監督:満若勇咲/プロデューサー:大島新/公開2022年5月21日)

日本に根強く残る「部落差別」を題材にしたドキュメンタリー。かつて日本には「穢多」「非人」と呼ばれる賤民が存在した。1871年に明治政府が発した「解放令」により賤民身分は廃止されたものの、それ以降も彼らが住んでいた地域は「部落」と呼ばれ、差別構造は残り続けた。現在、法律や制度上は「部落」「部落民」は存在しないが、少なからぬ日本人が根強い差別意識を抱えている。映画では部落差別の起源・変遷から現状までを描き、積み重なった差別の歴史と複雑に絡み合った背景をひも解いていく。監督は、屠場とそこで働く人々を捉えたドキュメンタリー「にくのひと」で第1回田原総一朗ノンフィクション賞を受賞した満若勇咲。「なぜ君は総理大臣になれないのか」の監督・大島新がプロデュースを手がけた。

 

途中休憩が入り、4時間近い長尺。

現在の部落の状況、部落の人々の思い、研究者の歴史的経緯などが淡々と並べられるが、正直、隔靴掻痒の感がつよかった。

「差別を許さない」ことと「部落の存在を表に出さないこと」の相反する思いは、部落出身者であろうとなかろうと、それぞれの中に矛盾として存在する。とりわけ、部落解放同盟の人々にとっては、糾弾は必要不可欠な闘いの戦術でありながら、かと言って部落の具体的存在を表には出してほしくないという思いがある。画像1

足を踏まれる側の痛みは、踏む側にはわからない・・・踏む側はいつも「差別だ」の言葉に一歩引いて対峙することを要求される。いわゆる差別する側と差別される側は非定型ということだ。そこを超えるための闘いや論理、視点が必要なのではないか、と考えてきた。

差別者と被差別者が向き合うことのない関係であっていいはずがない。とするならば、この差別をめぐる議論の深化が求められるが、この映画がそれを追求しているようには見えない。

一人ひとりの話をていねいに拾い、現在的な部落差別の実態を掘り起こしていることは重要だが、これほどの長尺ならば、中で触れている具体的に混住をめざして活動している地区についてはもっと突っ込んで取材してほしかった。

それと、せっかく前回の『にくのひと』の時に出てくださった解放同盟の方の「私が愉瀬なかったのはただ1点」として挙げた地域の野球チームに「エッターズ」と名付けたことの問題、この問題をもっと深く掘り下げてほしかった。

あわせてSNSなどで「部落探訪」と称して活動している○○氏との裁判や具体的なやり取り、議論を取材してほしかった。それぞれが「こう考えています」ではなく、議論という形式で問題を詰めてほしかったと思う。

 

勝手な思いだが、差別される側とする側、双方が抱えている矛盾を公平に取り上げ顕在化していくという役割がドキュメンタリー映画にもあるのではないか。しんどい問題を正面から取り上げようとする監督の姿勢に共感しながら、そんなことを考えた。

 

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