PCR検査と解熱剤、咳止めをもらうために1日、半日かかってしまう。 コロナとの闘いはもう3年目。 現場の医療従事者は懸命に取り組んでいるのに、政治がやらなければならないところが抜けている。いつになっても同じことの繰り返し。医療ひっ迫の次には、受診自粛。 いつも国民の方に我慢を強いる政府。 身をもって無策を感じる閉門蟄居の日々である。

3年目の夏、長い長いコロナとの闘い、とうとう我が家にもコロナがやってきた。

8月4日午前中、Mさんが私の部屋に来て囁くように「Sちゃん、発熱・・・」。

ドキッとする。

2日、3日と近くの市営プールに親子3人で出かけたのが原因か、それともどこかでもらってきたか。潜伏期間がるので特定はしにくい。互いに注意はしていたのだが。

 

私たち二人は明5日から広島へ出かける予定。思案のしどころ…なんて言っているうちにRくんと母親、つまり長女も発熱。感染力が強いといわれるオミクロンBA5 だろう。

SちゃんRくんともに39℃台。

もちろんこのままほおって出かけるわけにはいかない。それにプールの送り迎えや家での生活を考えると私たちにも感染している可能性も高い。

広島行きを断念する。新横浜の旅行会社までキャンセルに。ついでの食料などを大量に仕入れる。

キャンセルは2人分の新幹線、ホテル、そして広島交響楽団マーラー3番のチケットも。代えがたいもの。痛いのはお金だけでゃない。

 

夕方、Mさん、のどのかゆみを訴える。

2週間前、感染した次女が同じ症状だった。その後発熱した。

 

5日、あさから私以外の4人、ぐったりしている。

南町田駅前にある子どもクリニックの予約が取れる。Mさんがクルマで連れていく。

新しく開院したクリニック、患児2人は動かずに、ドクターと看護師が動くていねいな診療だったそうだ。

検査結果は2日後に電話で知らせくれるのだとか。

 

Mさん、だんだん調子が落ちてきている。

駅前の処方箋薬局に、今度は私が解熱剤などを取りに行く。ついでも買い物も。

この時点で私は痛くもかゆくもなく、元気。Mさんと違って孫たち距離があるからかもしれないと思っていた。

Mさん、夕方、とうとう発熱。コロナ禍、広がる。

 

5日深夜というか6日夜半、暑苦しくかつ気持ちが悪くて何度か目が覚める。

熱が出る感じとは違う。私の場合、というか多くの人は風邪の時には寒気というか悪寒がするものだが、今回はからだが妙にあったかい。それに脈拍が以上に速い。枕に当てた耳から強い動悸を感じる。

6日早朝、熱を測る。38℃超え。拍が121。とうとう来てしまった。早かった。

いつもしている朝食の準備がする気になれない。微熱が続いているMさんに代わってもらう。

やや少なめだがふたりで普通にたべる。

これで全員が発熱。5人が同じような食事ができなくなった。

市販薬eveを2錠飲む。

 

瀬谷駅近くの病院の発熱外来が受け付けているというので、ここにターゲットを絞り、9時からふたりで電話。

つながらない。リダイヤルを100回以上繰り返すうちに、呼び出し音に変わる。

出るか出るかと思って5分後、ようやくつながる。

いくつか質問に答えると、あとで看護師から電話があるから待機せよとの指示。

 

1時間後に電話がある。高齢の女性の声。ここでもう一度細かい聞き取りをされてのち、14時45分に来院せよ、ついては1時間前から飲食はすべて禁止。水もダメ。クルマのナンバーと色は?降りたら近くのプレハブ小屋に防護服の看護師がいるので指示に従え、そのあとはいったん帰宅し、ドクターからの電話を待て。

そこで診断が終われば、再度来院し、診療費を支払い、処方箋を受けとれ。それをもって隣りの薬局に行ってもらうが、中に入らずに呼び出しのインターフォンを押せ、とのこと。

お昼にeveをあと2錠飲む。

 

30分前に家を出る。5分前には病院の駐車場に待機。狭い駐車場、Mさん入れるのが大変。

ちょうどの時間にプレハブに行くと防護服姿の女性看護師。

体温と酸素飽和度をはかる。6度9分。96%。そしてPCR検査。ここのは鼻に突っ込むでもなし、唾液を吐き出すのでもない、棒の先の脱脂綿を舌下に入れて5分待つというやつ。

この看護師一人しか姿を見せない。とにかく動き続けている。

結果は、明後日8日の月曜に電話をするという。

終了。いったん帰宅。

1時間後にドクターから電話。ほぼ1分ほどの簡単な問診。やや疲れた声。終日、発熱患者の対応をしているのだろう。解熱剤カロナール5日分と咳止めデキストロメトルファンを5日分処方される。Mさんは同じものを5回分。この違いは基礎疾患、重症化リスクの高低の違いか。

 

1時間半後、電話があり、会計ができたから来てほしい、と。

再びクルマで出かける。

時間ちょうどに着くも、件の看護師は他の患者への対応をが続けている。声をかけられる雰囲気ではない。名前だけ確認してくれたから、暫しウエイティング

10分後、差し出したお金には一切触らず、引き換えに処方箋をもらう。

隣接の薬局に向かい、インターフォンを押す。

スタッフが出てきて真新しいビニール袋をあける。そこへ処方箋を1枚ずつ入れる。あとはクルマで待機。20分後、クルマまでスタッフが薬を持参。お薬手帳で吞み合わせを確認したうえで薬剤を受領。

 

外ははや夕刻に。病院は一日仕事。

2人とも症状が軽かったから何とか2度のクルマの往復もできたが、高熱で動けなかったりすれば救急車を呼ぶことになる。そこから先は・・・報道を見ているとあまり考えたくもない。感染力は強いが、重症化することは少ないといわれるBA5だが、全く重症化しないわけではない。単に確率の問題。自分一人の身になれば0か100%だ。

問診ではワクチンの接種状況も訊かれたが、ドクターは「症状が軽いのは4回目のワクチンを打っているからでしょう」という。

私たちの接種日は7月19日。抗体が出来上がるのに2週間と言われるから、BA5に現在のワクチンは対応できていないとはいえ、一定の効き目はあるということなのだろうか。

 

帰宅してしばらくしたら、次女が玄関の網戸から「おとうさん!」と声をかけている。

網戸を開けずにやり取り。飲み物やゼリー、食べ物などどっさり持ってきてくれる。滞在時間1分。こんなに短い滞在も初めてだ。

 

みな元気がない。それぞれ好きなものを食べ、さっそく薬を飲む。早めに就寝。

 

7日、早く寝たせいか2時前に起きてしまう。全英女子オープン3日目をみる。

食事ごとに解熱剤と咳止めを服用。体調は悪くない。少なくとも風邪の時よりはまし。皮膚が少しひりひりするが、解熱剤が効いているのか熱は上がらない。

終日、横になって読書と睡眠を繰り返す。

孫二人は、もうほとんど通常の状態。娘は今一つ、調子が戻っていない。Mさんは咳と微熱。

 

8日、昼頃に病院から電話。「ドクターに代わります」。

「結果をお伝えします。陽性です。ついてはあなたの場合基礎疾患があるため重症化しやすいので、コロナ対応の薬を処方することができます。ただし副作用があります。どうしますか」

断る。ふだん、7種類を服用し、一昨日から解熱剤と咳止め、さらにちょっと得体のしれないコロナ薬はちょっと。

 

これから陽性者としての生活が始まる。

日に一度は状態を県に連絡。

しかしパルスオキシメータや食料の配布などについては動きが鈍っているようだ。

それにしても、だ。3年間、この感染症に国を挙げて対応してきて、感染した人へ処方する薬が解熱剤と咳止めというのはどうなのだろう。陽性かどうかだけを見極めたらあとは対症療法?とにかく罹るだけ罹ってしまえ、ということなのだろうか。

薬を眺めていると、猛烈に不安なになってくる。これって私だけ?

 

長女だけが診察を受けておらず、薬も処方されていない。同じ病院で14時の予約が取れる。

またMさんがクルマを出す。もちろんクルマからは出ない。

13時30分に出かけて戻ったのが16時30分。

 

繰り返すが、PCR検査と解熱剤、咳止めをもらうために1日、半日かかってしまう。

コロナとの闘いはもう3年目。

現場の医療従事者は懸命に取り組んでいるのに、政治がやらなければならないところが抜けている。いつになっても同じことの繰り返し。医療ひっ迫の次には、受診自粛。

いつも国民の方に我慢を強いる政府。

 

身をもって無策を感じる閉門蟄居の日々である。