『由宇子の天秤』春本裕次郎監督、妥協のない媚びないつくり方。瀧内、河合、光石、丘みつ子好演。10代のセリフ、とってもいい。

今朝、5℃。

寒い時には朝の散歩はしないと決めたのだが、午後は90分のオンライン授業。終わるのは日が沈み始めころ。今朝は風もないしねとふたりで理由をつけて朝の散歩に出る。

きりっと冷え切っている。年を越すと黄色くなるミモザの木のある畑に霜が降りている。

川面からチチチという鳴き声。カワセミが石の上に留まっている。

蘆の穂先に留まっているときは、水中の魚を探しているのだが、石の上では休憩か・・・と思ったとたん飛びたちホバリング

f:id:keisuke42001:20211130112255p:plain

写真はネットから拝借しました

ほんの1,2秒のこと。色合い、スピード…。なんともいえない美しさがある。

得をした気分で帰途に就く。

 

映画の備忘録。

『由宇子の天秤』(2020年製作/152分/G/日本/脚本・監督/春本雄二郎/出演・瀧内公美 河合優実 光石研 丘みつ子ほか/2021年9月17日劇場公開)

“正しさ”とは何なのか? ドキュメンタリーディレクターの由宇⼦は究極の選択を迫られる――三年前に起きた⼥⼦⾼⽣いじめ⾃殺事件を追うドキュメンタリーディレクターの由宇⼦は、テレビ局の⽅針と対⽴を繰返しながらも事件の真相に迫りつつあった。そんな時、学習塾を経営する⽗から思いもよらぬ“衝撃的な事実”を聞かされる。⼤切なものを守りたい、しかしそれは同時に⾃分の「正義」を揺るがすことになる――。果たして「“正しさ”とは何なのか?」常に真実を明らかにしたいという信念に突き動かされてきた由宇⼦は、究極の選択を迫られる...。(フィルムマークスより)

 

 

春本雄二郎という人の作品は初めて。元々テレビの人で映画はこれが2作目らしい。

妥協のない媚びないつくり方がいいと思った。音楽もほとんど入っておらず(たぶん)、いたずらに感情を泡立たせることをしない手法が新鮮。

脚本もいい。テレビ報道と塾という設定も面白いし、高校生、10代の子たちのセリフが生き生きしている。とくに河合優実の演技が印象的。

瀧内公美はほとんど出ずっぱりだが、揺れる由宇子を好演。『火口の二人』の印象が強いが、ごく普通の人の雰囲気を出せるのがいいと思った。

 

報道にも責任があるということに対する制作側の無自覚さが由宇子には許せない。由宇子は報道に関わる人間として世事にまみれない正義感を保持しているのだが、これが一つの伏線。一方で起きる父親の塾生に対する性的なかかわりに対して隠蔽を企図してしまう。二つの出来事の間で由宇子は揺れる。

 

由宇子のまっとうな主張に基づいてつくられたまっとうなドキュメンタリーは、いじめ自殺の真相に近づいていると思われたが、事実関係の決定的な間違いから全面撤退を余儀なくされる。このリアリティが良い。

ネタバレになるから書かないが、ここのすじ仕立てがよく出てきている。

事実でないとしてもそのまま突っ切ってしまうことも選択肢の一つ。堂々と撤退する由宇子。これが大きな布石となって終盤へ向かっていく。

 

父親との関係を認めた萌に対し、由宇子は優しく接し、萌の信頼を得ていく。その中で萌の妊娠が判明するが、由宇子はその事実を萌の父親に伝えない。画像13

 

守るべきものが家族である場合、由宇子のまっとうさ、正義感は揺らぐ。

 

さらに由宇子は、萌がつきあっていた塾生の男子の言葉を真に受け、複数の付き合いがあったことを萌に糺してしまう。

 

ここから物語は大きく変転していく。

そうして結末は取り返しのつかないことに。

 

報道に関する由宇子の心理と萌に対する心理の違い、ズレがよく伝わってくる。

そっちに行っちゃいけないという方向に由宇子は向かっていく。

私自身が学校の現場にいた時に感じたことがかぶさってきて、痛々しささえ感じるシーンが続く。

由宇子の報道に対するまっとうさは失われ、人間が陥るありがちな陥穽にすっと落ちていってしまう様子が丹念に描かれている。

 

正しさとは何か、といった問いが宣伝惹句に使われているが、それはそれとして、人が切羽詰まったぎりぎりのところで切り結んだ関係の繊細さ、壊れやすさ。それを壊すのは何なのか。瀧内と河合が見事に演じきったのではないか。光石研丘みつ子はじめ脇役の人たちの演技のリアルさが際立っていて、春本雄二郎という人の構成力、演出力の高さが頼もしい。町山智浩ダルデンヌ兄弟に似ているという評価をしているそうだが、言われればなるほどと思う。次回作が楽しみだ。

 

画像15