『アイダよ、何処へ?』戦争に救いなどあるはずがないが、この映画にも些かの救いもない。厳しい映画だった。

今朝、5℃。東京は4℃まで下がったらしい。

長かった晩秋も終えて初冬の始まり。二十四節季では「小雪」とか。

北海道からは大雪の便り。今年は雪が多そうだという。

ここ横浜は七十二候の「朔風払葉」がぴったりとくる。

このところ冷え込んだ朝は避け、昼下がりに散歩をするのだが、昨日など背中から寒風が吹き付け、枯葉が足にまとわりついた。

ほら、あそこ!とカワセミに姿を先に見つけるのはMさん。

境川の水はいよいよ澄んでいて、泳ぐ鯉の群れがくっきりと見える。

ところどころでせせらぎの音が聴こえ、きりっとした空気を少し和らげてくれる。

 

映画備忘録

11月24日、kikiで。

封切りの時にうまく都合が付けられず見られなかったものが、1~2月あとにラインアップされる映画館の一つがkikiだ。

封切りの時にはあちこちに出かけなければ見られないのが、ここは3スクリーン、1週間ほどの上映期間で見たかった映画がまとまってみられる。

今回も、『アイダは何処へ?』『由宇子の天秤』の2本を同日で見られた。

 

時間があったので、ほとんど情報のない映画を1本見た。

 

黄龍の村』(2021年製作/66分/PG12/日本/脚本・監督:阪元裕吾/出演:水石亜飛夢 鈴木まゆ/2021年9月24日公開)

 

ネットの評価を見ると、1.0~5.0までまさに毀誉褒貶の嵐。

暇な若者たちがそろって田舎にお泊りで遊びに行くと・・・。

クルマはパンク、ケータイの通じない不気味な村に足を踏み入れる。村の入口にはアタマに包丁の突き刺さったかかし?

どうも人肉を食べる陋習が連綿と続く村のようだが…。

ホラーなのか?と思ってみていると、不気味なのは冒頭のほんの少し。

あとはカンフー映画

村人が放射能の防護服姿だったり、座敷牢に閉じ込められた○○神様が肥ったブリーフ姿だったり、けっこう笑えた。

阪元監督は1996年生まれ。『ある用務員』(2020年)『ベイビーわるきゅーれ』(2020年)『最強殺し屋伝説国岡』(2019年)など精力的に撮っている監督。マニアックな若者たちに人気があるようだが、おっさんにはイマイチだったかな。

 

『アイダよ、何処へ?』(2020年製作/101分/PG12/ボスニア・ヘルツェゴビナオーストリアルーマニア・オランダ・ドイツ・ポーランド・フランス・ノルウェー合作
原題:Quo vadis, Aida?/監督:ヤスミラ・ジュバニッチ/出演:ヤスナ・ジュリチッチ/日本公開2021年9月17日)

 

 

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の中で起きた「スレブレニツァの虐殺」を描いている。

ボスニア・ヘルツェゴビナの連邦行方不明者委員会による、スレブレニツァで殺害されるか行方不明となった人々の一覧には、8,373人の名前が掲載されている。2008年12月までの段階で、およそ5800人の遺体がDNA調査によって身元特定され、3,215人がポトチャリのスレブレニツァ虐殺記念館にて埋葬された。(ウィキペディア

国連平和維持軍の通訳として働いているボシュニャク人のアイダが、家族の命を守るために基地内を奔走する姿が描かれている。

 

銃撃戦こそないが、まごうことない戦争映画。善も悪もない。

 

セルビア人勢力の将軍は、どうすればボシュニャク人を痛めつけながら彼らを凌駕できるかだけを考えており、国連平和維持軍の司令官は、その権威が崩されていく中で身内を守ることに汲々とする。情報が錯綜する中、ボシュニャク人男性は家族と分断され殺されていく。

 

アイダは、通訳として国連軍の中に占める位置がある。その権限を使って、夫をセルビア人勢力との交渉役とすることで家族ともどもいったんは基地内に入れる。基地の外に取り残されている人たちにとってはアイダの家族は「特別扱い」。公平だとか平等ということにアイダは気にかけない。画像11

 

しかし、夫の参加したセルビア人勢力と国連軍との交渉は、かたちばかり。交渉にもなっていない。その間にセルビア人勢力は国連軍基地内に押し入り、男女を分断し、虐殺を始めてしまう。

アイダは激しく司令官らに詰め寄るが、夫と兄弟は殺されてしまったようだ。

 

 

アイダは一人で住んでいた家を訪れるが、そこには別の家族が住んでいる。

「なるべく早く出て行って」とアイダはいうが、それが実行されるのかどうか。

 

第2次世界大戦後最大のジェノサイドであったと言われるボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のなかでの最大の惨劇のなかで、それぞれの立場の人間がどんなふうに考え動いたか、カメラはまるでドキュメンタリーフィルムのように、演技を追いかけていく。

全編、緊張感が途切れるところは一切なし。緩徐楽章らしいシーンはなかった。

 

 

原題:Quo vadis, Aida?はラテン語でそのまま「アイダは何処へ行くのか?」。聖書からの引用のようだ。

暴君ネロ帝のローマ帝国ではキリスト教徒への迫害が激化しており、虐殺を恐れて皆が国外へ逃れようとしていた時、十二使徒の一人である聖ペトロが、ある夜明けの光の中にイエス・キリストを見る。ペドロは「Quo vadis, Domine?(主よ、何処にいかれるのですか)」と尋ねると、キリストは「おまえが、我が民を見捨てなければ、私はローマに行き今一度十字架にかかろう」と答える。聖ペトロはローマへ戻り捕らえられ十字架にかけられた。

 

映画はアイダに対し「何処へ行くのか?」と問いかけているのだが、アイダは家族を失いながら地獄のような世界を生きのびる。生き延びてしまった悔恨の深さがタイトルに込められているようだ。

 

戦争に救いなどあるはずがないが、この映画にも些かの救いもない。厳しい映画だった。

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