遺跡は自治体のものではなく国民の共有財産。今回発見された遺構は軍施設。発見遺構を現状保存してスタジアムをその上に建設、遺構を整備・展示し、スタジアム内に中国軍管区司令部跡や旧大本営跡などの遺構との連携を図り、広島城周辺の軍事施設を解説する中心的施設とする。これが、原爆投下に至った原因の具体的な姿として活用可能。広島大学名誉教授藤野次史さん(考古学)の講演から。

昨日アップした旧陸軍中国軍管区輜重兵補充部隊跡の保存に関する署名、何人かの方から反応があった。

広島市行政の、かたくななサッカースタジアムのみありきの姿勢、遺跡の評価を適当にあげて一部切り取り保存でお茶を濁すやり方は乱暴かつ野蛮で、まっとうな行政とは言えない。

いったい遺跡とはだれのものなのか?

その時々の行政が勝手に評価、判断して棄損していいものなのだろうか。

 

9月3日、広島平和会館で開かれた緊急学習会での藤野次史さん(広島大学名誉教授・考古学)の講演レジュメを送っていただいた。遺跡保存についての基本的な知識を含めて、自分の整理のために紹介したい。

タイトルは、

     「遺跡保護と開発の共存を目指して」

構成は

 

 はじめに

1サッカースタジアム建設予定地発見の近代遺構

2開発と遺跡

 1)遺跡とは何か

 2)遺跡は誰のもの?

 3)遺跡の保存

 4)遺跡保存と開発の両立の例

   ①国外の事例

   ②国内の事例

3スタジアム建設と近代以降の保存・両立をめざして

 終わりに

 

 

はじめに

遺跡は私たちの周りにあふれていて、わたしたちの生活域と相当重複している。

遺跡は私たちの生活の犠牲にならなくてはいけないものなのか。

 

1サッカースタジアム建設予定地発見の近代遺構

 

発見された旧陸軍中国軍管区輜重兵補充隊の略史

 1871年 広島に鎮西鎮台第一分営設置

鎮西鎮台(ちんぜいちんだい)は、1871年から1873年まであった日本陸軍の部隊で、当時全国に4つ(東 京、大阪、仙台、熊本)あった鎮台の一つである。広島は熊本(鎮西)の分営

 1873年 第五営区広島鎮台設置

     編成 歩兵2連隊 砲兵隊1大隊 工兵隊1小隊 輜重対1小隊

5番目の鎮台として格上げされたということか。        

 1880年 輜重隊(輜重第五小隊)新設  設置場所は広島城内堀の北西

輜重(しちょう)は、軍隊で、前線に輸送、補給するべき兵糧、被服、武器、弾薬などの軍需品の総称のこと。

 1888年広島鎮台は広島第五師団に改称(師団制へ移行)輜重隊は現在地へ移転

 1920年自動車班設立

 1923年兵器支廠旧敷地へ施設拡充

 1935年軍備改変、厩舎1棟改築

 1936年輜重兵第五連隊と改称

 1945年原爆投下。施設全壊。厩舎は4棟

 

70年余にわたって施設が改変拡充されたが、今回検出されたのは終戦時の遺構。形状や規模、構造をよくとどめて極めて良好な保存状態。米軍の航空写真、『広島輜重兵隊史』などによって大半の施設が同定される。

用途変更による施設改修の痕跡もあり、現在の遺構面下に存在する可能性のある近代以降についても配慮が必要。

 

2開発と遺跡

1)遺跡とは何か

遺跡とは、持ち運びできる遺物、遺物と土地と一体となった持ち運びのできない遺構をさし、完全に機能を停止したものをいう。

遺物は、所有者などが別の用途で利用していないもの。

遺構は、誰かが住むなど再利用できない状態のもの。

遺跡は年月の新旧とは関係ない。令和の遺跡も理論的には存在する。一方、奈良の法隆寺文化財ではあるが遺跡ではない。

日本では遺跡のことを埋蔵文化財(1950年文化財保護法での規定)ともいう。

 

2)遺跡は誰のもの?

文化財全般は「国民共有の財産」が社会通念上定着。ほとんどが自治体が保管・管理。

遺跡から出土した遺物や遺跡は、国民に代わって各自治体が保管・管理をしていると考えるべき。発掘や調査成果の評価、遺跡の取り扱いについても、自治体が「代行」している。

一部自治体は遺跡については自分たちにすべての権限があると考えているようだが、まったくの誤りで住民不在の行政というべき。

自治体は、遺跡の存在、内容、発掘調査についてその途中経過も含めて地域住民に対して、情報を周知する義務を負っている。見学の拒否や制限は許される行為ではない。

 

3)遺跡の保存

今回、広島市は本遺構について十分な「記録保存」をするから問題ないと主張している。

記録保存とは、遺跡の保存ではない

遺構、遺跡の規模や数値的情報や政策の痕跡、出土状態などを図面、写真、文章によって記録を半永久的に管理することをさす。したがって遺跡の保存とは言えない。

遺跡の保存方法

① 遺跡の状態を最良の状況で将来に伝える方法。

現実には発掘した遺構の全部か一部を保存処理して展示、埋め戻して地表に遺構を復元するか遺構の位置を表示するなどを行う。

② 発掘調査後に現地もしくは別の場所に元通りに復元・展示する方法。

土地ごと切り取って移築する場合も。博物館内に復元・展示する方法も。表面に現れている部分のみを対象とする場合が多く、セミの抜け殻状態。しかし記録保存に比べれば臨場感など比較にならない。

 

4)遺跡保存と開発の両立の例

①国外の事例

・ロンドン市庁舎内の古代ローマ闘技場(ロンドンの中心部シティ区)

1988年調査。動物がアリーナに入場する入り口と通路、石をモルタルで固めた壁、暗渠や沈殿槽、約6000人観客の座席。

⇒ 市庁舎と広場の地下に全面保存。アートギャラリー地下で見学できる。

・ビリングスゲイト・ローマン・バス・ハウス遺跡テムズ川沿いのオフィス街)

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1882年史跡指定。ローマ時代の風呂と付属施設及び建物。

⇒ 保存処理後に遺構上に建物が建てられた。

・スピタルフィーズ遺跡(ロンドン中心部)

中世の納骨堂。石の壁や梁、柱などが発見された。

⇒ 現地保存。法律事務所本社前の再開発エリア中庭でガラス越しに遺構の一部が常時見学できる。年に数回、階段を降りて展示遺構を実際に見学できる。

アクロポリス博物館遺跡アテネ市のパルテノン神殿に隣接)

古代の住居群、道路、貯水槽などが発見。

⇒ 全面保存。その上に大規模な建物を建設。一部強化ガラスを設置し見学可能に。

・公平(コンピョン)都市遺跡

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李朝時代~近代の路地と建物跡が良好な状態で検出。

⇒ 移設保存。

ビルの地下に移設して発掘された状態で復元、公平都市遺跡展示館として公開。

 

②国内の事例

大阪府法円坂遺跡

難波宮に先立つ5世紀前半(古墳時代中期)の堀立柱倉群。16棟検出。大和の王権に関わる遺跡。国の史跡に指定。

⇒ 全面・現状保存。ビルの地下の現状保存し、1日6回解説付きで公開。

長崎県勝山遺跡サント・ドミンゴ教会跡)

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桜町小学校校舎建設工事で、江戸時代初期のサント・ドミンゴ教会跡と長崎代官屋敷跡が検出。

⇒ 現状保存。小学校地下に移籍を現状保存。移籍内の通路を設置し、教会石組地下室や石畳、排水溝、代官屋敷の井戸など見学ができる。

宮城県富沢遺跡

仙台市長南小学校建設に伴う発掘調査で、後期石器時代中頃の湿地林跡とキャンプサイト(狩猟・採集のための一時的な野営地)発見

⇒ 全面現状保存。

 保存区域は地底の森ミュージアムとして活用され、敷地の一角に湿地林を保存処理して露出展示。

岡山県津島跡

縄文時代弥生時代~近代までのの人々の活動のあとが残されている。

⇒現状保存

岡山県総合グラウンドのメインスタンド内に遺跡&スポーツミュージアムがセットされ、出土遺跡の展示公開がなされるとともに、展示室内床下に木製農工具や建築部材の出土状況がそのままの形で復元されている。

 

 

3スタジアム建設と近代以降の保存・両立をめざして

ギリシャアクロポリス博物館の事例を参考にすれば、相当規模の建物であっても、広範囲に遺跡の現状保存が可能。

今回の遺構を保存しつつサッカースタジアムを建設することは十分可能。

国際平和都市広島の意義

原爆資料館平和公園原爆ドームに加えて新たに平和公園内に被爆の惨状伝える被爆遺構の展示が加わることになっている。

これらは主に被害者の視点に立つものだが、今回発見された遺構は軍施設。発見遺構を現状保存してスタジアムをその上に建設、遺構を整備・展示し、スタジアム内に中国軍管区司令部跡や旧大本営跡などの遺構との連携を図り、広島城周辺の軍事施設を解説する中心的施設とする。これが、原爆投下に至った原因の具体的な姿として活用可能。

さらに動線を整備して原爆ドームなどとの一体的活用をすることで国際平和都市の実践的活動となるのではないか。本遺構は、

「平和を創出し国内外に発信する」という積極的、持続的な意味をもつ重要な宝。

 

終わりに

スケール感のある本遺構が、広島城周辺に設置された軍施設の一部に過ぎないことに思い至ったとき、

 広島が巨大な軍事都市であったことをあらためて実感

遺構の重要性もスタジアム建設の意義もともに大切なこと。

拙速な議論は避け、これらが両立できるように十分な時間をかけ内外の英知を結集して将来に向けたプラス思考の議論が必要。

広島市には、近代以降の全体の保存を前提に、十分な安全性を確保できる構造のスタジアム設置の検討を強く望む。

発掘調査地は国史広島城跡の隣接地。周辺には軍事関連以降および近世遺構が広く遺存すると考えられる。発見された遺構群の重要性からみて、広島城整備・活用計画の中で緊急かつ慎重に保存・活用の検討がなされるべき。