『富士山噴火』『TSUNAMI 津波』そして『首都感染』

24日、久しぶりの雨。

水曜と日曜日に野菜を出す森さんちまで二人でクルマで出かける。

しかし、野菜は出ていない。この悪天候では仕方がない。手ぶらで帰ってくる。

散歩も中止だ。

予報は関東南部の平地にも5㎝ほどの雪。昼頃から薄日が差し始め、地面の雨が乾いていく。

外気温は3℃。室内は暖房を入れなければ17℃。セーター一枚でも過ごせそうだが、なんだかうすら寒い。らいはケージの中のかまくらのような犬小屋?で丸くなって寝ているばかり。

 

さて備忘録。

この冬、高嶋哲夫の小説を初めて読んだ。

 

富士山の噴火を扱った小説があると何かで読んだのがきっかけ。

 

 

港北区という横浜市の東の方に住んでいた10年前、マンションの窓から新横浜方面に富士山がよく見えた。冬になると南アルプスの雪をかぶった北岳も小さく見えた。

 

いつの間にか新横浜に富士通のビルが建ち、富士山の眺望は遮られた。

富士山の代わりに富士通。悪い冗談のようだったが、ここ瀬谷区の移り住んでからは、富士山は丹沢山塊に視界を遮られ、頂上付近だけが見える。

それはそれで悪くない眺めだし、毎日散歩に出かけるときには、マンションの入り口で眺望を確認するのが習慣になっている。

 

その富士山が噴火するのではないかという話はずいぶん前から流布している。

 

富士山は活火山であり、前の噴火から300年以上経っている。その時には宝永地震が直前に起きている。

巷間云われてきた南海トラフ地震がきっかけとなり、富士山が噴火したとすると、

ここ横浜の西部は大きな被害を受ける可能性がある。

 

とまあ、何となく、気になっている。「杞憂」以上の可能性はあるのではないか?

 

で、『富士山噴火』(2017年/集英社文庫/880円+税/単行本は21015年)を読んだ。

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小説としての味わいはないが、富士山噴火をめぐって元陸上自衛隊左官だった主人公、娘、地震学者などが繰り広げる息をつかせない展開は、とっても楽しめる娯楽小説になっている。

 

高嶋哲夫原発関連の研究者で小説を書き始めた人。94年に『メルトダウン』を発表してデビュー。以来科学的知見に基づいた地震原発津波、などをテーマにした小説を発表している。

 

続けてTSUNAMI 津波』(2008年/集英社文庫/819円+税/単行本は2015年)を読んだ。

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富士山の噴火は起きていないが、津波は2011年の東日本大震災で甚大な被害を生んだ。

小説は東海大地震によって引き起こされる津波を克明に予想し、小説に仕立てている。

名古屋に建てられ完成披露を待つばかりの超高層ビル原発の職員、自衛隊員、政治家等々の対応は迫力がある。

とはいえ、こちらも上手に娯楽小説としての形が出来上がっている。

 

いわばテレビや映画を見ている感じ。面倒な感情移入が必要な人物は出てこないから、わかりやすい分だけ、味わいというか深みはない。

 

3冊目。パンデミック小説。

『首都感染』(2013年/講談社文庫/950円+税/単行本は2010年)

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これが3冊の中では一番面白かった。

これは武漢のロックダウン以上のレベルでの完全な都心封鎖を描いている。

 

中国で発生した強毒性のインフルエンザがサッカーワールドカップの開催によって世界中にばらまかれる。

 

新型コロナウイルスとは似て非なるものだが、その広がり具合は共通するものがある。

WHOにいたドクターとその父親の首相、そして厚労大臣によって都心の一部を完全に封鎖しワクチンができるまでウイルスを閉じ込める。官邸も例外ではない。みな閉じ込められ一切外には出られないし、外からも入れない状況がつくられる。

 

結果的には30万人を犠牲にして日本が救われるという結果となるのだが、これはかなり思い切った判断。

小説の構造は前作2作と似ているが、これが一番迫力を感じた。

ただ、官邸は政治家、官僚すべて完全にロックダウンされるが、皇居については一切触れていないのが画竜点睛を欠いていると言えないか。天皇制の問題を棚に上げての首都封鎖論は片手落ちである。

それと残念なのは、世論やマスコミの動きがやや単純化されて戯画化されていると思えたこと。

映画の手法同様、一定の登場人物群を中心に描いているから、群像としての民衆のイメージが薄っぺらい感じがするのだ。

 

小説としてはこの3冊でもういいかなとは思うが、それでも原発地震、噴火、津波、感染を正面から描こうとする作家は貴重だと思う。かつて『日本沈没』を書いた小松左京のような作家もいた。起きてからのことを書く人はたくさんいるが、起きる前に書くのは膨大な知見と想像力がなければかけない。それはそれで大変なことだ。人間を描く濃度のようなものが薄くなるのはそのせいかもしれない。