『精神0』・・・見ているこちらは、手出しをしないカメラに少しイライラしながら、さまざまなことを考える。このわっきあがってくる多くの想念がこの映画の真骨頂だ。

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ほとんどボランティアで犬の餌をつくっている方に名前入りのクッキーをつくっていただいた。(9月14日)


9月11日(金)

あつぎkikiでの2本目。

『精神0』(2020年/128分/日本・アメリカ合作/監督:想田和弘/出演:山本昌知・山本芳子/公開5月2日)

 

 

 

『マルモイ』のエンドロールが始まってすぐにスクリーン3を出る。『精神0』の上映は12時5分からスクリーン2で始まっている。お昼を食べる余裕はない。こちらも観客は10名に満たない。冷房がやや強いのが辛い。コロナの前には貸し出し用のブランケットが置いてあったのだが。

 

ちょうど冒頭の診察室シーン。古い日本家屋の一室。このシーン、何人かの患者さんの独白のようなことば。かなり長い付き合いの患者さんたち。先生と患者さんのやりとりをただじっと聞く。

4000円を貸してほしいという患者さんに、おもむろに財布を取りだし小銭と併せて3000円を渡すシーン。

台本などあるべくもないが、引き込まれていくのを感じる。

患者の悩みを等身大の年長者が吸い取っていくような、長い間培ってきた患者との独特の向き合い方。

 

精神科治療の世界ではよく知られた山本昌知氏。

その山本氏が82歳となって引退を決意したことからこの映画は始まっている。

 

よく知られた前作『精神』は見ていない。今から11年前の映画だ。想田監督の『選挙』『選挙2』は見た。2006年ごろのことだから、監督の映画はずいぶん久しぶりだ。

 

退官講演のシーン。ジョークも含めてその人柄が伝わってくる。

このシーンと後半のほとんどが費やされる夫婦二人の生活のシーン。そこでも職業的な生活は画然とは分けられず、引退したとはいえさまざまな問題が持ち込まれる。

しかし映像は、迫りくる避けようのない老いに静かに向き合い、抗わず受け入れ、夫婦で穏やかな時間をつくっていく様子をひたすら「観察」する。

 

お茶を飲む、寿司を取って夕食の準備をする、それらの日常のこまごまとした所作を丹念に追う。手伝ってあげれば?と思うようなシーンもある。芳子さんは少し認知症が始まっている。昌友さんより動きが遅いし、先が見通せないことが多い。

昌知さんはそれら日常の所作を急がない。そしてあきらめない。ゆっくりゆっくり手足を動かしながら日常をつくっていく。

 

見ているこちらは、手出しをしないカメラに少しイライラしながら、さまざまなことを考える。このわっきあがってくる多くの想念がこの映画の真骨頂だ。

 

128分、ただただ飽かず眺めた。

お墓参りのシーン、路地を二人で支え合いながら歩くシーン。

私が考えたのは、こんな時間が私たちにも訪れるのだろうか、ということ。

何気ない日常の時間が少しずつ失われていくとき、そのスピードを徐々に緩めながら相手に丁寧に自分を重ねていく、そんな時間をつくることを忘れないでと言われているような気がした。

 

 

 

講演のシーン、終わって廊下に出た山本氏に女性の参加者が

「先生!評論社の森さんが日本で一番素敵な先生ですって言っていました」

正確には覚えていないがそんな声をかけていた。山本氏は少し恥ずかしそうにしていた。

何か引っかかった。

評論社?児童書の評論社だろうか、いやいや山本氏なら評論社ではなく日本評論社だろう。『こころの科学』や「そだちの科学』をだしている。そして統合失調症のことなら森さん、あの森さんのことじゃないのか。ずいぶん長いことお会いしていないが。

 

夜、森さんのダンナのEさんにメール。「あれって森さんのことだよね?」と問うと

少し経って「御明察!」の返事。

森さんは想田監督に「あのシーンどうしても必要だったんですか?」と迫ったらしい。

笑ってスルーされたとか。