文科省訪問。セキュリティも展示も図書室も、みな国税でつくられたものなのに、公けの施設はみな国民をなるべく近づけないために、さまざまなシステムを編み出しているのではないかと思う。

昨日、久しぶりに東京へ。

田園都市線、銀座線と乗り継いで虎ノ門。どうしても見たい資料があって文科省の図書館を訪れた。

コロナ禍のせいで国立国会図書館も一日の入館人数が800人だったか、決められている。事前に連絡をしなければ入れない。文科省図書館は、ほとんど訪れる人がいないようだが、事前にメールで来館予約と見たい資料を提示する必要がある。

こういうの、めんどうである。

テレビで教育関連のニュースのときに映る古臭い文科省の入り口。

あれはほとんど使われておらず、入り口は新合同庁舎7号館。虎ノ門駅から雨に濡れずにたどり着けるようになっている。東京の官庁はこういう所が多い。誰の為かは知らないけれど。

f:id:keisuke42001:20200704152555j:plain

文科省旧庁舎と文科省委が入る合同庁舎七号館

 

 

セキュリティが異常に厳しくなっている。というより、警備の態度がよくない。

二十代後半の制服制帽の若造。ぞんざいに「予約はあるのか」と聞くから「メールで確認している」と答えると、「何か証明できるものはあるか」という。「メールだけじゃダメなのか」というと、「ふん、しょうがねえなあ」という態度で「この紙に記入して」と命令口調。人を迎える態度ではない。少しもんでみたかったが、約束の時間が迫っているのでやめる。

たぶんネクタイもしてないよれたポロシャツの高齢かつ貧相な外来者だから、うさん臭く見られたのだと思う(笑)。

 

20数年前に文科省交渉を設定するために頻繁に旧庁舎に通ったことがあったが、その頃は館内にある指定された喫茶店に直接行けばよかった。大臣のフロアは赤じゅうたんだったり、各部署の廊下にはビールのケースが積み上げられていたり、いろいろなものが見られた。それはそれで人間的な装いではあった。

2年ほど通って設定することができた交渉も、館内の天井の低い会議室でやった。現在、文科省交渉は、官邸のとなりの、味もそっけもない建物の参議院会館などでやるようになった。

 

 

入り口で名前に住所、相手先などを記入して受付に提出。受付が相手先の部署に連絡をして確認。入口のキーにもなるカードをもらってその部署に向かうという手順。

横浜の新市庁舎もそうだが、建物が新しくなるとこんなふうに警備が強化される。悪い傾向だ。

教えられた通りの道筋で歩いていく。ビール瓶ケースどころか、廊下にはよけいなものは全くなし。

必要に応じてつく照明、後ろから消えていく。

 

文科省図書館。小さな入り口。把手を動かせば開くもの・・・ではない。注意書きを読むと、カードをセンサーに近づけて…全部読まないうちに中の女性がドアを開けてくれる。これが図書館か?どちらかといえば図書室の風情。

 

「あの・・・」と言いかけると、件の女性「こちらで検温と消毒をお願いします」。

云われたとおりにしてまた「あの・・・」と言いかけると、

「こちらでお願いします。必要な資料は用意してありますので。よろしかったら照明もお使いください」。

見ると、近くの長机のうえに電気スタンド、そして分厚い資料が6冊積み上げられている。

自己紹介も何もなし。すべてメールと先ほどの受付で確認されているということだ。

 

なんだかなあ、である。

 

それから黙って坐って1時間半、資料をめくり続け、数か所手書きで引き写す。

ほとんど物音なし。訪れる人もなし。

 

この図書館、必要があってもコピーはさせてくれない。

理由は簡単。コピー機が無いからだ。

 

通路の途中に「文科省情報ひろば」というのがあった。

www.mext.go.jp

旧大臣室などの展示があるという。ちょっと覗いていくかと、入り口の男性に声をかけると、検温と消毒をせよという。で、すぐに入ろうとしたら、「紙に必要事項を記入せよ」と。

こんなもの見学するのに住所と名前を書かせられる。

入ると、警備の女性が一人、私の前に「見学」している。

おかしい。休憩時間ですか?

制服制帽姿で、休憩時間に自分の職場の展示物を見学するか?

勤務時間中、これも勤務なのではないか?

見学者は私一人。監視に入ったのではないか、と勘繰ってしまう。

 

展示物は・・・。

5分で終わった。

読者諸氏は、上のHPで見学してください。

 

 

セキュリティも展示も図書室も、みな国税でつくられたものなのに、公けの施設はみな国民をなるべく近づけないために、さまざまなシステムを編み出しているのではないかと思う。

 

銀座線も、表参道で乗り換えた田園都市線も坐れた。それなのに息苦しい。

マスクをかけ続けたことと、マスクの人しかいないこと。

 

家を出て家に辿り着くまで、今日は4時間半ずっとマスクをしていた。

マスクは今ではまるで通行手形。これがないと街を歩いてはいけないようだ。

 

ここまでくると、マスクにどんな効用があるのか、それともないのかなんて話はどっかへすっ飛んでしまっている。

 

効用の有無より、私は丸腰です、ウイルスを移すような敵意をもっていません、という証明のためのアイテムにマスクはなっているのではないか。

 

5時半前に帰宅したが、薄暮シネマも『月』の朗読も今日はなし。早めの酒である。