また河井ネタである。
広島の友人が、タクシー運転手の話を教えてくれた。
私が先日乗ったタクシーの運転手曰く、「あのひとの事務所から呼ばれても、
うちの会社からは行きませんね。知ってる会社は、絶対行かない。
あのひとは、黄色の信号で渡らなかったら、ずっと運転手を罵倒し続ける。
わしの大事な時間を返せ、わしを誰じゃと思うとるんか、が口癖」。
地域で有名なのに、みんななんであんなのに入れるのか。疑問。
「安倍首相から」と言われて受け取ったいう広島市議。「当選おめでとう」と無理やりポケットにねじ込まれた人。「ふたりだけの秘密だからね」で黙っていた人。全て生活費に使ってしまった人。
ここにきて、いろいろな理由が語られる。
でも、どんな理由があるにしても、貰ったことは間違いない。
突然、お金を突き出されて、無理やりポケットにねじ込まれたにしても、その場で返せなくても現金書留で返送するとか、いくらでも返す方法はある。
返す意思がなかったということだ。
想像するに、そういう慣習が広島の政界、とりわけ保守陣営には強く蔓延しているということではないか。
政局ををめぐっていろいろな名目でお金をやり取りする慣習、だからどの政治家も「どんなことをしても受け取らない」とはならなかった。いや一人だけ受け取らないと、仲間外れにされるようなところもあったのかもしれない。
そういう世界に住まなくてよかったなと思う。
もともとそれほど清廉潔白な質(たち)でもないし、高い酒などを飲まされれば、ふらっとイってしまう可能性がないとは言い切れない。
40年ほど前には、保護者からの付け届けがよくあった。突っ返すのは失礼だと先輩の教員に言われ、返礼の品物を送るようにした。安給料でそれも大変であったが、たとえ返礼をしたにしても、貰ったという事実は消えなかった。貰ったことは忘れないものだ。
特に何か便宜を図ったということはなかったが、忘れなかったことは事実。
贈与というのは、これが重要なんだろう、たぶん。
現金を渡されたこともある。さすがにその場で返した。
私より20歳も年上の生真面目そうな父親が、何とも複雑な表情をしていたのを憶えている。
それは、大人に恥をかかすんじゃないよ、これはお前にやるんじゃない、お前の教員という肩書にやるんだ。突っ返すなんて一丁前のことを、お前ごときの若造がとる態度じゃないぞというものだったのか。
二つ目の学校あたりから、デパートから届く形式的な盆暮れの付け届けはなくなっていった。バブルのあとぐらいだったか。
家でつくった野菜だからとか、昨日漁に出たんだけどとか、下町だったせいかそういうのが増えた。センセ、穴子好き?とふだんほとんど口をきかない生徒に云われ、うんと答えたら次の日に大量の穴子を嬉しそうにもってきてくれたことがあった。家庭訪問の最中に浜を歩いていたら、手を後ろ手に組んだおばあさんとすれ違った。「○○中の先生かい?」「はい、そうですが」「カニ、好きか?」「ええ、まあ」「これもってけ」とワタリガニの入った袋を渡されたことがあった。
こういうのに返礼はしていない。でも、貰ったことだけは覚えている。
退職してからは、貰ったことをすぐに忘れる。これ、誰かに貰ったよね、誰だっけ?
ふたりでじいっと考え込む。そうそう、あの人に貰ったんだったというときもあれば、
食べ終わっても思い出せないこともある。
このぐらいがちょうどいいのかもしれない。