緊急事態宣言が全国的に解除された。
神奈川や北海道は、示された基準を達成していないにもかかわらず、だ。
しかし、これに対する批判は少ない。
早く自粛から解放されたい、のがホンネだからだろう。
政権の支持率、毎日、朝日は出たけれど、読売、産経の世論調査の結果が出てこない。
在宅勤務や自粛の間、テレビはどんどん再放送が増えていき、新鮮なのはニュースだけになってしまった。
とってもほとんどがコロナ関連、それとモリカケサクラから麻雀に到る検察庁法案。
みなじっくり家族でニュースを見ると、やっぱりこれダメだわ、という結論になったのではないか。
思いつき、雰囲気だけをみて判断しているように見える。
そしてそれがおおかた間違っている。
降ってわいたような9月入学のシミュレーションや論点整理などについて、首相は
「前広に議論していきたい」
といった。ふつうに考えれば、なにをネムたいことを、である。政策的な知見など全く省みることなく、目先を変えられる、という思いつき。マスクと一緒。
政府をあげてやることがほかにいくらでもあるのに。
マスク配布は早急に中止するとか、届くべきところに早くお金を届けるとか。
そういう指摘をそらすための「解除」にしかみえない。
政治的解除。
自粛疲れが政権批判にならないように、経済活動をさせることが目先の批判を避けられるという思いつき。
学校も開校に向けて動き出した。
思えば2月末の安倍首相の休校宣言。
権限もないカラ宣言にみな粛々と従った結果、休校は3か月に及んだ。
日本の学校の歴史で、児童、生徒、学生が3か月間も何もしないで「ウチにいた」
のは、はじめてのことだ。
3密を避けるためのさまざまな工夫が準備されている。
分散授業、給食なし、部活なし・・・。
繰り返しになるが、心配なのは
登下校、休み時間、放課後
である。
それ以外の時間帯は、教員から
「くっつかないように」「離れていなさい」
のことばがのべつ幕なし、放たれる。
3か月、くっつかず、離れていた子どもたちが、間隙を縫ってくっつくのはしかたがない。
心配なのは、いじめ、である。
新しいクラス。
さまざまな情報がケータイで飛び交ってきた3か月。
不安や不安定さは、だれかをエサにし始める。
3・11後の放射能いじめ、フクシマいじめにつながる
コロナいじめ。感染者、医療従事者・・・。
いまでも病院のうわさが聞こえてくる。親や家族のちょっとした言い方のニュアンスが、子どもたちに伝わる。
新たな不登校の子が増えなければいいが。
学校へ来ていることが「煮詰まらない」ことにつながることもあるから。
新一年生の孫が、今日三回目の登校日。
教室の黒板の上には「みんななかよし」の貼り紙。
マスクをした孫は、「一言もしゃべっていない」らしい。