いろいろなバージョンがあるようだ。友人から送ってもらったものとは少し違うが、これもなかなかたのしい。
学校再開について文科省が、小1小6中一の分散登校を選択肢として出した。
いつものように、出てきた反応に対して
「小6、中3、小1だけ学校に来なさいと促しているわけではない」
と萩生田大臣。
文科省としては「一つの選択肢」かもしれないが、2か月も学校に行かずに家庭で逼塞している子どもたち、その親にとっては「前向きな判断」と見えてしまう。
学校運営の工夫として示されているのは、分散登校のほかに
・感染の可能性のある学習活動はしない。(歌唱指導、調理実習、その他学校行事)
・各教科の指導計画の見直し検討
・給食は牛乳とパンのみ。
・学校図書館を自習スペースとして利用。
・夏冬休みの短縮や土曜授業の検討
・教職員の在宅勤務や時差出勤
この程度のことなら何もわざわざ通知などする必要はない、と思う。
歌唱指導などをやめろというが、ふつうの授業ならばできるのか。
座席を一つ置きにしても、子どもたちは群れたがるもの。「密」をちゃんと回避しできるのか。
学年によって児童・生徒の特徴はそれぞれ。現場でなければわからないことがたくさんある。
指導計画の見直しと検討といっても、学習指導要領が定めている中身を一定程度カットしなければ、すでに2か月授業ができていないのだから、これは難しい。文科省がやるべきなのは、学習指導要領の減量化を示すこと。
学校図書館を自習スペースって現実的ではない。どんな広さだと思っているのか。
夏冬休みの短縮や土曜授業の検討というが、これもおおもとの学習指導要領をどうにかしないと、むやみやたらに夏休みや土曜日に授業を詰め込むことになる。
100年に一度あるかないかのこの状況。
通常のかたちを念頭に置けば置くほど、議論は窮屈になる。徳政令ではないが、文科省は積極的に学習内容の減量化を明示すべし。
入試の内容も変わらざるを得ないし、もしかすると数年の間、変更を余儀なくされるかもしれないことを覚悟しべし。
文科省が上からいろいろ言えば言うほど、地方の現場が動きづらくなる。
「今はまだ登校は無理」という判断が後ろ向きに見えないようにするには、文科省はよけいなことは云わずに自らがやるべきことをしっかりやることだ。
9月入学論について、官房副長官を中心に検討に着手したという。
この大変な時期に、どうしてこんなことに時間と人手を割かねばならないのか。
いままでにも何度かこの議論はなされてきたはずだ。
しかし、思い切って導入に踏み切るほどのモチベーションはなかったということ。
それが、新型コロナウイルスによって休校を余儀なくされたことから、この際9月はじまりにしてしまえば?といったいわば思いつきのレベル。
文科省・中教審や地方の教育委員会ではなく、全国知事会あたりが議論を先行させているのもおかしな話。
それに乗っかって「それはいいわね」などと大衆迎合の評論家が賛意を示す。
降ってわいたような話に飛びついて、重々しく「検討着手」などというのは、みえみえの目くらまし戦術。新型コロナウイルスへの対応の遅さ、まずさを糊塗する一つの材料にはなるという判断か。
9月に入学の時期を移すことがどれだけ大変な制度の変更を要するものか、素人でもわかる。「官房副長官を中心に関係各府省の事務次官らによる検討」というと漢字が多い分それらしく見えるが、所詮思いつきのやっつけ仕事。そんなことをしている暇があるなら、他にすることがいっぱいあるはず。「食いつなぐ」ことすら難しくなっている人が日々増え続けているのだから。