朝日新聞の投書欄に
「まちの図書館が業務縮小 疑問」 3月5日=要旨
というタイトルの文章が載っていた。
「要旨」を要約すると、
図書館に予約した本を取りに行ったら、カウンターは開いていて予約した本は受け取れたが、書架と席はロープが張られていて中に入ることができない。新型コロナの感染予防対策で館内で長時間滞在してほしくないようだ。書架にさえ入れないのはやりすぎではないか。まるで戒厳令がでたようで、萎縮社会にならなければいいが。
現在は、予約の本すら受け取れない。私も1冊予約してあるが、「貸出OK」のメールは来ない。
3月5日の段階で意見、よく分かるのだが、それ以降の感染状況を見ると書架に入って滞在するのは厳しいかもしれない。予約本の受け渡しぐらいはやってもいいのではないかとは思うのだが。
実はこの記事を紹介したのは、新型コロナウイルスと図書館、ということではなくて、
この投書をされた方のこと。
署名は
無職 関 千枝子 (東京都 87歳)
とある。年齢からして、たぶんあの関さんに間違いない。
1932年、大阪市生まれ。早稲田大学文学部ロシア文学科卒業。毎日新聞入社。社会部、学芸部記者を経て、1980年から全国婦人新聞(女性ニューズ)記者、編集長など歴任。現在フリー。2014年、安倍靖国参拝違憲訴訟原告(筆頭)。主著:『広島第二県女二年西組―原爆で死んだ級友たち』(ちくま文庫/日本エッセイスト・クラブ賞、日本ジャーナリスト会議奨励賞受賞)他
今もお元気で図書館に通い、本を予約している。そして、新型コロナウイルスの影響から縮小、休館している図書館のありかたに意見を表明している。
すごい。
『広島第二県女二年西組―原爆で死んだ級友たち』は、あまた読んだ原爆の記録の中でも忘れられないもの。感情に流されず、客観的な記述を旨としているからこそ、真に迫ってくるドキュメンタリーだ。
授業中にも何度も朗読をした本。
単行本の初版は1985年。3年後に現在のちくま文庫となり、現在でも版を重ねている。
広島に修学旅行に行くことになり、90年代の初め頃、当時は横浜にお住まいだった関さんを学校にお招きし、生徒たちに被爆体験をしていただいた。
1945年8月6日朝、関さんはおなかの調子が悪く、友達が迎えに来たのを断り、家で休んでいたという。市の中心部の建物疎開に駆り出されていた第二県女二年西組の女生徒たちのほとんどが亡くなっている。
関さんのお話は、深い悔恨に満ちていたが、涙を流されることもなく淡々としたものだった。文章同様、その分かえって迫力を感じさせるものだった。
お話に集中できずにとなりどうし、おしゃべりをしてしまう生徒には遠慮せずに厳しく注意をされた。
もう30年近く前のことだが、いまだに本と関さんのお話は忘れられない。
関さんの一番新しい本は、昨年の『ヒロシマ対話随想2016-2018』(中山志朗・関千枝子)。
未読だが、『ヒロシマ往復書簡』第1集~第3集 中山志朗・関千恵子)をベースにした本のようだ。
久しぶりに新聞で目にした関さんのお名前に、居住まいをただしてしまう気持ちになった。
大阪のHさんから、昨日書いた皆川達夫さんについてメールをいただいた。
「十代の頃、皆川さんの『バロック音楽のたのしみ』(たしかBGMはVivaldiのフルートソナタ?)を愛聴し、バロック音楽の世界に入っていきました。」とあった。
テーマソングは、間違いなくビバルディの『「忠実な羊飼い」からソナタ ハ長調Op13の2』