雪が降っている。
水分の多いべたべたした雪だから、積もることはないと思うが、暖冬のはての3月末の雪、ちぐはぐ、である。
元教諭の停職処分取り消し 君が代不起立、東京高裁
東京都立学校の卒業式で、君が代斉唱の際に起立しなかったとして、2009年に停職6カ月の懲戒処分を受けた元教諭の女性2人が処分取り消しを求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は26日までに、1人だけ処分を取り消した一審東京地裁判決を変更し、もう1人の処分も取り消した。賠償請求は一審同様に退けた。
一審判決は、2人のうち1人については、過去に懲戒処分の対象となった行為も踏まえたもので、相当だとして、処分取り消しを認めなかった。
高裁の小川秀樹裁判長は、停職6カ月は免職に次ぐ重い処分で、慎重な検討が必要だと指摘。「積極的な式典の妨害行為ではなく、起立しなかったという消極的行為だ」とした上で、過去の行為は既に処分されていることも踏まえて「今回の処分は妥当性を欠き、裁量権を逸脱したもので違法だ」とした。
控訴審で処分取り消しとなった元教諭の根津公子さん(69)は記者会見し「信じられない、うれしい判決だ」と話した。(3月26日日本経済新聞)
朝日にも載っていたが、根津さんの名前はなかった。日経もたまにはよい。
君が代斉唱時に立たなかっただけで停職6か月。
停職6か月は、一般的に「自主退職の余地を残しておいたから」というレベルの処分、退職しろということだ。
ひどい話である。これが裁量権の乱用、逸脱でなくて何なのか。
都教委は、不起立を繰り返す教員に対し、累積処分を課してきた。その結果が6か月。
ようやく、高裁が、都教委のエキセントリックとな処分のおかしさを認めた。
慣例ならば、最高裁は高裁判決を支持するだろう。
私も根津さん同様、勤務校で君が代が卒業式で歌われるようになって以降のほぼ10年間、職員席でずっと坐ってきた。3年に一度は最前列で。
しかし一度も処分はされていない。
注意も受けていない。歌ってほしい、立ってほしいともいわれたことがない。
不起立者の数が極めて少数だったことにもよるが、君が代問題に対する行政の姿勢が違っていたということだ。そう、違っているのだ、地域によって。
横浜市教委が穏健な方針をもっていたということではない。
飲酒、わいせつその他に対する処分では、エキセントリックな処分が多かった(そのうちいくつかは処分変更まで闘った)。
さて、君が代。
同じ坐るという行為でも、かたや停職6か月。
根津さんは、半年の間、校門まで就労闘争もたたかった。そうせざるを得なかった気持ちは痛いほどわかる。
立たなかったことを、教員を辞めなければならないほどの悪いこととは思っていなかったはずだ。
根津さんを支持した人たち、同僚、卒業生、保護者など多くの人たちが彼女を支えた。
たった2、3分の着席が、人と人との関わりを切ってしまうことはなかった。
最低限の内心の自由の表明は、公務員たる教員にも認められるべきだ。
内心の自由を問うような儀式を公教育はやるべきではない。
公教育だからこそ、国歌を歌うのは当たり前のことではないか。
真っ向からぶつかる議論。
なぜこの国では、国歌、国旗問題が長く解決して来なかったのか。
それを探れば、事の本質は見えてくる。
先日、朝日新聞に
『ドイツ中道政党、「学校に国旗を」』
と題する記事が載った。
サブタイトルが3つ。
学生組織代表「愛国心失った国」
州連立内に異論「移民らを疎外」
大戦の反省 抑制の歴史 右翼政党 保守化を歓迎
この記事、ドイツの右傾化を報じているわけではない。
メルケル首相率いる中道右派・キリスト教民主同盟(CDU)の若い学生代表が学校に国旗を掲げることを義務化することを主張していることが記事の主眼。右翼政党がこれを歓迎しているというドイツ国内の雰囲気。CDUからこの主張が出てきたことが大きな特徴だ。
ではどんな議論があるのか。
日本のように日の丸が侵略戦争の象徴のように云われるのに対して、ドイツでは1919年から使われたナチスのかぎ十字を廃し、1949年に「黒赤金」の旗を復活させた。
しかし行きすぎた愛国心の反省から、その使用は抑制されてきた。変化してきたのは2006年の地元開催のサッカーワールドカップから。
それでも、公共機関には国旗、州着旗、EU旗の3つが飾られるが、学校では国旗は掲げられてこなかった。
教員や生徒の間でも意見は分かれているという。
このレベルが日本と違う。
・ドイツ程自国を卑下し、愛国心を失った国はほかにない。国旗を掲げるのは良い考え
・異なる文化背景をもつ人たちが阻害されている事実があるが、国民の一体感を求めるならば国旗を掲げて満足するのではなく、同じ社会の一員として一緒に暮らす方法を探ることに注力すべき。
・国旗は戦後ドイツが培ってきた自由や民主主義、今年30年を迎える統一ドイツの象徴。
・国民がアイデンティティーをもつことは重要だが、学校は民主主義を学ぶところだ。問題が起きれば無関心にならず、解決に向けて話し合うこと。国旗を掲げるかどうかより、ずっと大事でしょう。(気候変動問題で子どもたちがデモをしたことに触れて)
ナチスのかぎ十字を永遠に封印することで、ドイツは戦後の出発を果たした。そのうえでの国旗問題なのである。
EUの中心国として長い間移民や違う文化との共存を考えてきたドイツにとって、日本のように明確な対立軸が見えにくい国と違って、この問題はかなりセンシティヴな問題である。
そして、一つ間違えば、移民排除を訴える右翼政党「ドイツのための選択肢(AfD)」と同じような立ち位置にもなりうる危うい面ももっている。
穏健派で長くEUで主導的立場をとってきたメルケル氏の主張が、今ドイツでは必ずしも主流ではなくなりつつあること、このことが学校での国旗掲揚義務化問題がパラレルにそして絡み合って進行していることにつながっているのではないか。