『家族を想うとき』をみた。脱出口の見えない、家族を想えなくなる時をつくりだす過酷な労働の現実

Mさん、本日、車検のためトレッサにいく予定だったが、昨夜、担当のAさんから連絡があり、延期に。

 

トレッサと云うのは、横浜・港北区にあるショッピング・モール。

https://www.tressa-yokohama.jp/shop/index.jsp?bf=6&cat=11

この中に、ディーラーがたくさん入っている。

 

新型コロナウイルスの感染した人が、セントラルウエルネスクラブトレッサというスポーツジムを、2月25日~3月1日の間5日間利用したという。

利用日が重なる人が1406人いるという。

ジムは3月3日から休業、それに伴いトレッサ全施設が、12日から週末にかけて休館している。

 

車検の有効期間や保険などにつていは若干の期間延長の措置があるらしい。

 

私も来週、従兄の一周忌の法要で福島に帰るつもりでいたのだが、感染者がほぼゼロの地域にわざわざ出かけなくてもと思い、先様に申し訳なかったのだが、取りやめにした。

 

そこで、空いてしまった時間、どうしようかと。私は映画に行くつもりでいたのだが、

Mさん、タイトルを聞いて一緒に行くことに。

 はじめは「映画館に行くの?」と心配げだったMさん、私の説得は、

この時期、映画に行く人はあまりいないと思うし、人と接触することもない。休館ならば仕方ないが、営業しているのだから映画好きとしては行ってあげないとという気持ちもある。

居酒屋も同じなのだが、この2週間ほどだれからも誘いがないし、こちらから声をかけることもしていないのでご無沙汰。

 

ということで、昨日は本厚木まで。

Mさんが見たかったのは、

『2019年/100分/イギリス・フランス・ベルギー合作/原題:Sorry We Missed You

監督:ケン・ローチ/出演:クリス・ヒッチェン デビー・ハニーウッド リス・ストーン ケイティ・プロクター/2019年12月13日日本公開)

 

『ダニエルブレイク』も良かったし、ケンローチと是枝裕和との対談番組も見た。

暮れに行きたかったのに、時間が合わず、今頃に、ということだ。

 

家族の映画ではなく、労働問題そのものの映画。労働強化、搾取によって家族が壊れていく映画。

邦題『家族を想うとき』は情緒的すぎる。想うときではなく、想えなくなってしまったときだし、宣伝コピーの「毎日抱きしめて」も、映画のハードさを何とかオブラートに包もうとしたのだろうが、見終わってどちらも、それはないだろうと思う。

「いったい何と闘えば家族を幸せにできるの」

このコピーがいちばんいい。

 

原題は翻訳すれば「残念ながらご不在でした」といったもの。そのままでは分かりにくいが、では何という邦題をつければいいかと云われても、これが難しい。「不在通知 ~終わりなき配達」

残念ながら平凡である。センスがない。

 

訪問介護の仕事をしている妻と、高校生の息子、小学生の女の子をもつリッキーが、就職の面接に臨むシーンから映画は始まる。

 

宅配業者ではあるが、雇用関係のない個人事業主としての契約。

 

労働時間や休憩時間、労災などの雇用関係にある場合のルールは一切なく、クルマもガソリンも自分もち、働く時間も休みも自分で決めてよいことなっているが、そんな甘い話ではなく、厳しいノルマがある。

 

自分でクルマを用意しないと、リースのクルマは高額の賃借料がかかる。

リッキーは、妻が訪問介護で使っているクルマを売ってこの仕事にかけようとする。

 

友人のヘンリーが、はじめて宅配に行くリッキーに向かってからのペットボトルをわたそうとする。

 

「何だよ、これ」

「尿瓶だよ」

「ふざけるな」

「これが必要と思う時が来るさ」

 

象徴的なシーンだ。

一日14時間、休憩もなしに、トイレに行く暇もなく働かなければならないのは、もちろんノルマの多さに寄るが、配達指定時間があったり、不在であったりするからだ。GPSがついて配達ルートなどすべての情報を管理し、運転台を2分離れるとアラームが鳴るマシーンが全てを管理する。ミスのペナルティーのはすべてお金に換算される。働けば働くほど借金が増えていく構造。

 

リッキーの労働強化に加えて、バスで移動しなければならない妻のアビーの訪問介護の仕事もきつくなっていく。老人たちに誠実であろうとすればするほど、アビーもまた追いつめられていく。

 

穏やかな家族は、いつしかぎくしゃくし始め、妹は夜尿症に、兄は学校をさぼり、暴力事件を起こす。

 

学校への呼び出しに応じようとすれば、仕事に穴があく。

リッキーは運転中居眠りをして事故を起こしかける。

ここからリッキーは転落していくことになる。

 

すべてのリスクを労働者に負わせていく巧妙な搾取。

企業同士の競争の激化のつけが労働者にまわされ、家族も含めて崩壊していく形が映画ではストレートに描かれている。

 

壊れかけていく家族とのつながりに時おり見える小さな希望、荒れていた息子が暴漢の襲われ打ちひしがれている父親に対してかけるひとことや、クルマのキーを隠せば家族が元通りになると信じる妹、どこまでも心優しい妻、しかし、そういうものでは何も解決しないのだとケン・ローチは云いたかったのではないか。

 

 日常の何気ない会話がよく練られていて、唸るシーンがたくさんあった。丁寧なつくり方をしているんだなと随所で思わされた。そのうえで『ダニエルブレイク』にあった救いのようなものがこの映画にはないと思った。

 

ケン・ローチには映画的な結構やまとまりを壊してでも伝えたいものがあったのではないか。

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非人間的なシステムが幅を利かせている現実をあなたはどう見るのかと問われている。

 

ヨーロッパにはまだ労働問題を主なテーマとして作品をつくる文化がある。

冷徹に労働の現実を見つめる目が必要なのは日本だって同じだと思うのだが。