昨日、日中の気温は20℃を超えた。
桜のつぼみの先のピンクが見え始めている。
今日、民家の塀に留まったシジュウカラを間近でみる。
気温は13℃。少し風があって肌寒く感じた。
『コンプリシティ 優しい共犯』(2018年/116分/日本・中国合作/原題:Cheng Liang・監督・脚本:近浦啓/主演:藤竜也・ルー・ユーライほか/2020年1月17日公開)
1月から追っかけては逃げられてきた映画。新百合ヶ丘のアートセンターアルテリオ館でようやくつかまえた。
中国から来た技能実習生が、いつしか日本で名前を変え、偽造登録証をもってそば屋に住み込む。青年はそば屋の主人と気持ちが通じ合い、そばの打ち方もおぼえ始める。その矢先、警察は不法滞在の彼に迫るが、そば屋の主人は・・・
という映画である。これだけ読めば、それほど珍しくもないストーリー。
なぜか引き込まれるものがある。
まずチェン・リャンがいい。
チェン・リャンは海南省の田舎から日本にわたる。工場で働き、数年後にはお金をためて帰国し、亡くなった父が経営していた工場を再開する。そのためにからだの悪い母親は、いまだ家の実権を握っているチェンの祖母にお金の無心をする。
この中国でのシーンがとてもいい。子どもは早く親を助けるために自立すべきと主張する祖母は、チェン・リャンを意気地のない根気の続かない子だと激しく罵倒する。ストレートである。そんな子のために大金など・・・。
しかし、別のシーンでは、日本行きを認めお金も出してあげたのか、チェン・リャンに洋服を買ってあげるシーンがある。祖母のしぐさ、言葉がいい。
多くが多額の借金をして渡日する若者たち。技術とお金を携えて帰国できればいいが、日本という国はそれほど懐が深いわけではない。
彼らは劣悪な労働条件から逃亡、結局不法滞在となり、犯罪を犯してしまう・・・そうした若者とチェン・リャンは重なるが、彼のルーツがしっかりと描かれているぶん、人物に深みを出している。
病気の母親が、リャンを心配して何度も電話をしてくる。工場で働いていることになっているリャンは、話を嘘で固めざるを得ない。母親は、「社長さんにいいものを送っておいたから」と付け届けのことを伝えるが、リャンはただ「もう、そういうことしなくていいよ」とだけ答える。
名前も嘘、働いているところも嘘、仕事も嘘、出身は北京、これも嘘。でもチェン・リャンは、「北京で会えるね」という葉月に否定もしないし、藤竜也には「北京で一緒にお店をやろうよ」とまで云ってしまう。
こういうシーンが積み重ねられる。
日本の親子だってそんなに違わない。
チェン・リャンの日本は、かつての東京だ。
藤竜也の演技がいい。苦労したという蕎麦打ちのシーンもいいが、セリフ回しが
これ以上ないほど自然で,目がものを言う。すごくいい。藤竜也、逸品である。
山形県の大石田という町を舞台にしているが、そば打ち、花火、お祭りなどというご当地ドラマではありがちな安っぽさがないのは、登場人物の心情を描くのに過剰に思い入れをせず、距離を置いているせいだ。それと大石田が海南省の田舎町の風景と対比されていて、心情的にどこか通じ合うものがあるからか。
偽名と本名、名前をめぐる物語は十分にロマンチック。それに淡い恋愛模様はあっても、暴力シーンがないのもいい。全体に表現が抑えめなのに引き込まれるのは、役者たちの目の力がつよいからかもしれない。
ラストシーン、スパッと来て余韻を感じさせるいい終わり方。
テレサ・テンの「時の流れに身を任せ」が流れる。「中国ではみんな知っているよ」。
どんなことをしても藤竜也でこの映画をつくりたいと考えた近浦監督。出演するかしないかは脚本を読んで決めるという藤竜也。「この脚本、映画になりたがっている」と藤が快諾したという。素晴らしいコンビが出来上がった。私も、この脚本、いいと思う。
監督が脚本を書いてメガホンをとる。
原作ものでなく、ぜひ次もそういうやつ、期待している。次の映画が楽しみだ。