「原爆症」と3文字で表記されると、何か重要なことが薄められてしまう。 あえて長たらしくするわけではないが、正確に云おうとすれば 「75年前のアジア太平洋戦争において、アメリカによってなされた広島・長崎の数十万人の民間人に対する核攻撃・核戦争によって被害を受けた人々が、長期にわたって発症するさまざまな放射線障害」

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マンションのエントランスの先にある畑のミモザの木


「広島や長崎で被爆した女性らが、原爆症と認めなかった国の処分を取り消すよう求めた3件の訴訟で、最高裁第3小法廷(宇賀克也裁判長)は(1月)21日、双方の意見を聴く弁論を開いた。原爆症の認定要件の一つである「現在、医療が必要な状態」の解釈を巡って二審の判断が割れており、最高裁が統一判断を示す可能性がある。判決は2月25日。」

                          (日経電子版)

 

早朝からのテレビのニュースはこの問題を大きく取り上げている。

たかが言葉の問題かもしれない。

しかし「原爆症」と3文字で表記されると、何か重要なことが薄められてしまう。

 

あえて長たらしくするわけではないが、正確に云おうとすれば

 

「75年前のアジア太平洋戦争において、アメリカによってなされた広島・長崎の数十万人の民間人に対する核攻撃・核戦争によって被害を受けた人々が、長期にわたって発症するさまざまな放射線障害」

 

まったくこなれていないが、最低限これだけ云わないとその歴史性や犯罪性は表現できない。さらには旧日本軍によるアジア侵略の拠点としての広島、も付け加えるべきと思うが。

 

およそ1か月前、最高裁はこの上告審について弁論を開いた。

一般的には最高裁が弁論を開いた場合、原審破棄が予想されるとされる。

 

私事になるが、私が原告として最高裁まで争った「横浜教員超過勤務訴訟」は、弁論は開かれず、「原審支持・原告敗訴」の報は、職場への朝日新聞記者からの電話で知った。

 

今回の場合、弁論が開かれているから、高裁判決を破棄することが予想されるが、広島・名古屋高裁原爆症を認定、福岡高裁被爆者が敗訴と高裁判決が判断が分かれているから、はたしてどちらの判決を破棄するのか、何とも云えない。

 

被爆者援護法による原爆症の認定は、

①病気が原爆の放射線に起因する 

②現に医療を要する状態(要医療性)

にある―ことが要件とされている。

 

広島と福岡の被爆者は白内障、名古屋の被爆者は慢性甲状腺炎を患い、経過観察となっている。

 

国側は弁論で、原告は白内障慢性甲状腺炎と診断されているが、症状を改善するための積極的な治療はされていないと指摘。「経過観察だけでは、要医療性の要件を満たさない」と主張した。

 

原告側は「経過観察は重要な医療行為」と訴え、要医療性が認められると反論した。

 

原告の意見陳述では、原因不明の体調不良に苦しんだことや、被爆の影響が子や孫にあるのではないかとの不安を抱えていることなどから「被爆者を救済する判断を下してください」と訴えたという。

 

原告は70代から80代。幼少時に核戦争の被害を受け、長く生きてきた。そのつらさは私たちには想像もつかない。

 

経過観察ということはいつ新たな症状が出るか分からない状態、いつでも治療が必要になる状態のこと。難しい問題ではない。

本来なら、国が誤った判断をして大きな犠牲を国民に強いたのだから、国家賠償の理念に基づいて損失補償や損害賠償がなされるべき。

最低限、民間人に対する医療救済は国の責任として司法に任せるのではなく、政治判断に寄るべきでないのか。

 

アメリカに対する訴訟提起が不可能として、東京大空襲訴訟なども国を被告として訴訟が進められた。

最高裁で敗訴となっており、この国は、国による国民に対する戦争責任を認めていない。

 

本日15時、最高裁判決が出る。原告勝訴を祈りたい。