マンションのエントランスを出たすぐのところの畑に大きなミモザの木がある。
黄色が、日ごとに濃くなってきている。つい先日までは気にもかけていなかったのだが。
畑に植えたものが、何の手も加えられずにそのまま育ったようだ。すぐ近くに椿もあるが、ミモザの鮮やかさとは対照的。静かな咲きぶりである。
連日、気温が17度前後に。境川沿いを歩いていても、3月終わりの桜の時期のような陽気だ。
野菜の出来もよく、出来すぎて廃棄しているものもあると聞く。価格も安い。キャベツなど一玉100円を切っている。大根も安い。
先日、スーパーのレジできゅうりを大量に購入している人を見た。レジの店員がビニール袋に入れられたきゅうりを数えている。ゆうに50本を超えている。
その日のきゅうりの価格は税込み1本55円。
レジの店員の手元を見つめているのは、私たちよりやや高齢の女性。ふつうに家庭で食べる分量とは思えない。
「えさ?」
「なんの?」
「カメ」
「何匹飼っているの?」
「もっと大きいやつ」
「カッパじゃない?」
「カッパは冬眠しているでしょ、今」
「ほんとに?カッパって、冬眠するの?」
2人でこそこそと話す。何のためのきゅうりか。きくわけにもいかない。他人には計り知れない人それぞれの事情というものがある。
もちろんレジの女性もひたすらに数を数えているだけ。
他人のレジかごを覗くのははしたないこと。みても見ないふりをするのが礼儀。
食べ物の好みは人それぞれ。
それでも、ついつい考えをめぐらしてしまう。
そういえば、この間は鮮魚売り場でアジを十数匹、ビニール袋に詰めている親子と思しき二人連れを見た。50代半ばと30代の女性。
2人で大量のアジを物色しながら、トングではさんで袋に入れるのだが、その選別がなかなか厳しい。
「それじゃなくって、そっちの!」
「これ?これちいさいよ」
「いや、そっちの方が大きいってば!」
「そうかな」
その日はいつになくアジが大ぶり。親子はふたりで、置いていある二つのトングを使っているので、おなじようにアジが欲しい私は横に立って待つしかない。買い物の日はここでアジを飼い、さばいて刺身で食べるのが習慣。サクの鮪や鯛を切るより面白い。
またつい考えてしまう。あんなにたくさんのアジ、どうするんだろう。
ペンギンを飼っているのか?
いやいやペンギンのえさはイワシだろう。アジのように固い魚は、アタマから呑み込んでも、のどに引っかかってしまうのではないか?
いやいや、魚がのどの引っかからないように、たしかペンギンは必ず頭から食べるんじゃ?
いや、あれは、なにか他の鳥だったか。
開いて、アジフライ。パン粉をまぶして冷凍保存。いつでも使える。
アジフライ用のさばき方は、刺身と違って背開き。これがやってみるとけっこう難しい。練習のつもりでやってみたことがあったが、何度も失敗して身がふたつに離れてしまったっけ?
あれ?そういえばこの間、どこかでアジフライ食べたな。大きかった。あれどこだったっけ?
気がつけば、2人は去って、トングがふたつ目のまえに。
氷の中であちこち向いているアジはなんだか残り物のようで、鮮度まで急に落ちたような。
でも問題なし。捕ってすぐの急速冷凍、目がしっかりしていれば結構なプリプリ具合。
いつものように3匹、いや4匹を袋に詰めた。
12日。中華街、豊洲、湯島天神、帝釈天のバスツアー。どこも見事にはずした(笑)ツアー。豊洲は午後のけだるい雰囲気。帝釈天は夕闇のなか、開いているお店は団子や一軒のみ。
窪島誠一郎『夜の歌』読了。
戦没の作曲家、尾崎宗吉の物語。無言館に作品がおさめられている人々と尾崎の交感。
CD『尾崎宗吉作品集成』を注文。
「…音楽学校で意気投合した作曲家仲間の小倉朗、また諸井(三郎)門下として面識のあった柴田南雄、さらに井上頼豊や松本善三ら所縁の演奏家たち、そして宗吉のすぐ上の姉・永田文子夫妻らー彼ら全員がもはや鬼籍に入ってしまった今日となっては、失われた(戦禍に散った)譜面がこの後、発掘される可能性は極めて低いと云わざるを得ない。それゆえにこれは目下、尾崎の遺作をまとめて聴くことのできる唯一のディスクなのである。」
(池田逸子 ライナーノート から)
池田逸子さんは、小村公次さんらとともに80年代に「クリティーク80」を立ち上げ、埋もれた作曲家らを掘り起こしたグループの中心メンバー。無言館でのコンサートの仕掛人。
今日CDが届いて3回、聴いた。曲はもちろん演奏もかなりいいと思った。
「尾崎宗吉が出征前に残した絶作「夜の歌」には、そんな時代に生きた一人の若き作曲家の、最後まで喪わなかった音楽への熱望と、与えられた宿命に対するやるせない諦念のようなものがあふれている。沈静と激情、孤独と悲憤。それはあたかも、水底に無限の「生」のマグマをひめながら、ただ静かに月明を映して眠る満水のダムの水面でも思わせるようだ。」(窪島誠一郎「夜の歌」のこと から抜粋)