『永遠に僕のもの』(2018年/115分/アルゼンチン・スペイン合作/原題:El Angel/監督ルイス・オルテガ・主演ロレンソ・フェロ)冒頭とラストのダンスのシーンが、カルリートスの心象なのだろうか。

今朝もカラッと晴れあがった。空気は少し冷たいが、湿度は低い。

いつものように朝のルーティンのあと、Mさんとらいと散歩。7時ごろ。これもルーティン、か。

らいは9月の食欲不振から徐々に脱出し、絶好調。毎2食完食、早寝早起きも徹底している。朝は5時には起きているし、夜は9時には自分でケージに入ってまるくなる。

 

風なし。気温は12℃。まだ手袋もマフラーもいらない。薄く雲がかかっている分、空が高く見える。せせらぎの音もいつになくかろやかに聴こえる。こんな季節が少しでも長く続いてほしい。

 

河畔に出たとたん、大きめのカワセミが岩にとまっているのをみつける。飛び立つと背の鮮やかな青がきらめく。水面すれすれに滑空するすがたは、他の鳥の追随を許さない美しさだ。

 

きのう、口に餌を咥えて飛ぶカワセミを見た。初めて。

 

きのう6日は、日帰りで前橋の次兄のお見舞いに二人で出かけた。10月半ばから急に体調を崩したというので、先週は宇都宮の長兄夫妻が、今週は私たちが顔を見に。

 

3時間ほどお茶を飲みながらおしゃべり。何とか回復基調に入っているようだ。お昼を4人で食べて、また関越、圏央道、東名と来た道を戻ってくる。休憩を入れて約3時間。往復とも渋滞は海老名ー横浜町田。大したことはなかった。とは云え、運転はすべてMさん。往復330㌔。私は助手席でくだを巻いているだけ。

 

おととい5日。授業日。7回目。欠席ゼロは2回目。夕方、編集者のEさんと溝の口で待ち合わせ。岡崎勝さんとつくっているムック本の表紙の色校正が出たからというのが用件。そんなものを見ても私に何か指摘する技量などあるはずもない。ただ見せてもらうだけ。で、それだけじゃ芸がないので、少し話をしながら呑む。技量は落ちているが、こちらは年季が入っている。

 

一昨昨日、4日。久しぶりに本厚木kikiへ。

 

『永遠に僕のもの』(2018年/115分/アルゼンチン・スペイン合作/原題:El Angel/監督ルイス・オルテガ・主演ロレンソ・フェロ)

1971年のアルゼンチンで12人以上を殺害した連続殺人事件の犯人である少年をモデルに、スペインの名匠ペドロ・アルモドバルが製作を務めて描いたクライムドラマ。1971年のブエノスアイレス。思春期を迎えたカルリートスは、子どもの頃から他人が持っている物を無性に欲しがる性格だった自分の天職が、窃盗であることに気づいてしまう。新しく入った学校で出会ったラモンという青年にたちまち魅了されたカルリートスは、ラモンの気をひくためにこれ見よがしな対応を取り、2人はいとも簡単に殺人を犯してしまう。次第にカルリートスとラモンの蛮行はエスカレートし、事態は連続殺人へと発展していく。本作が映画デビューとなる俳優ロレンソ・フェロが主人公カルリートスを演じる。(映画.COMから)

 

1971年のブエノスアイレス、モデルのなった殺人犯は1952年生まれ。19歳。永山則夫は1949年生まれ、犯行時の年齢は同じだ。

殺人のシーンはいとも簡単にさらっと。泥棒に入って発見され出合いがしらに警備員やその家の家人を殺してしまう。色白で美しいカルリートスという少年からは罪の意識などまったく感じられない。彼には捕まることへの恐怖もないし、殺してしまったことへの罪悪感もない。かといって手に入れたもので満足しているふうでもない。やらないではいられない。やってもやっても終わらない。

 

冒頭、盗みに入った豪勢な屋敷の中でレコードをかけながらダンスを踊るシーンがある。

ほぼラストで、警察から逃亡して戻った仲間の家で小さなトランジスタラジオから流れてくる音楽をバックにダンスを踊るシーンがある。

 

どちらも極端に動きの少ないダンスなのだが、この二つのダンスのシーンがやけに美しい。印象に残る。

 

カルリートスの感情は全く見えない。空き家から母親に電話をかけて「帰りたい」と云う。その時、母親のまわりにはたくさんの警官がいて、彼のいる空き家の外にはおびただしい数の警官隊が取り囲んでいて、突撃の命令を待っているのだった。

 

無感情に残虐な行為を繰り返す殺人犯列車の中で母親のことを考えながら涙を流すシーンもある。単なる情性欠如とは違う特異な少年のありようが、あまり感情を入れずに描かれている。

 

かつて新藤兼人『裸の十九歳』(1970年製作/120分/日本)で描こうとした高度経済成長期のいびつな日本の中の永山則夫とはかなり懸隔のある映画だった。